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2025.4.19

「日本、美のるつぼ―異文化交流の軌跡―」(京都国立博物館)開幕。異文化交流の軌跡たどる

京都国立博物館で、「大阪・関西万博開催記念 特別展 日本、美のるつぼ―異文化交流の軌跡―」が開幕を迎えた。

文・撮影=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長)

展示風景より、俵屋宗達の国宝《風神雷神図屏風》(江戸時代)
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 奈良国立博物館の「超 国宝」展と同会期で、京都国立博物館(以下、京博)の「大阪・関西万博開催記念 特別展 日本、美のるつぼ―異文化交流の軌跡―」も開幕を迎えた。

 日本列島では古来から海を介した往来によって異文化がもたらされ、その出会いのなかで様々な美術品がつくり出されてきた。その作品の一つひとつが、豊かな交流の果実であり、日本という「るつぼ」のなかで多様な文化が溶けあって生まれたと言える。

展示風景より

 本展は、「世界に見られた日本美術、世界に見せたかった日本美術、世界と混じり合った日本の美術」という視点から、弥生・古墳時代から明治期までの絵画、彫刻、書跡、工芸品など、国宝18件、重要文化財53件を含む約200件の文化財を厳選し、日本美術に秘められた異文化交流の軌跡をたどるものだ。(会期中、一部展示替えあり)。松本伸之館長は本展について、「タイトルにある通り、万博で世界各国の方々が集まるこの機会に、日本の芸術文化の特質を見直していただこうと企画した」とその意図を語る。

 会場は、「プロローグ 万国博覧会と日本美術Ⅰ 世界に見られた日本美術」「プロローグ 万国博覧会と日本美術Ⅱ 世界に見せたかった日本美術」「第1部 東アジアの日本の美術」「トピック 誤解 改造 MOTTAINAI」「第2部 世界と出会う、日本の美術」「エピローグ 異文化を越えるのは、誰?」で構成。

 本展のなかでもハイライトと言えるのがプロローグだろう。日本が最初に万博にブースを設けたのは1862年の第2回ロンドン万博。以降、第2回パリ万博(1867)、ウィーン万博(1873)などに参加し続け、国際社会における日本のプレゼンス向上を図ってきた。こうした万博において日本をアプローチするのに欠かせなかったのが美術品や工芸品だ。

展示風景より、左から池田泰真作《江之島蒔絵額》(1893)、錦光山宗兵衛《上絵金彩龍鳳文獅子鈕飾壺》(1892)

 「世界に見られた日本美術」は、様々な万国博覧会に出品された作品を中心としたセクション。ジャポニスムで人気を博し、いまも高い評価を得ている葛飾北斎の《富嶽三十六景》(1831頃)をはじめ、鈴木長吉による《銅鷲置物》(1892)や、史上初めて日本美術を体系的に論じたとされる『L’Art Japonaise』(1883)などが並ぶ。

展示風景より、葛飾北斎《富嶽三十六景 神奈川沖浪裏》(1831頃)
展示風景より、鈴木長吉《銅鷲置物》(1892)
展示風景より、蒔絵小箱(カザール・コレクション)(江戸〜大正時代)
展示風景より、『L'Art Japonaise』(1883)

 

 いっぽう「世界に見せたかった日本美術」では、1900年のパリ万博の展示品として、日本人が初めて編んだ西洋式の日本美術史書『Histoire de l' Art du Japon』に注目したい。

 同書は、体系的な美術史が国威発揚になると考えた明治政府が1000冊製作したもので、各国首脳や海外美術館などに配ったという。時代や分野の区分は企画当初の編集長だった岡倉天心の構想に基づいている。現在では国宝や重要文化財となった名品が収録されており、日本美術史の基礎となった1冊だ。

展示風景より、「Histoire de l' Art du Japon」

 同じ部屋には、同書で紹介された、現存する日本最大の銅鐸で重文の《突線鈕五式銅鐸》(弥生時代)や法隆寺献納宝物である《菩薩半跏像》(飛鳥時代)も展示。また、同書で日本の木像や塑像、銅像の起源として「彫刻」に分類されている埴輪も並ぶ。

展示風景より、左から《埴輪 鍬を担ぐ男子》(古墳時代)、《突線鈕五式銅鐸》(弥生時代)
展示風景より、《菩薩半跏像》(飛鳥時代)

東アジアの日本の美術

 続く「第1部 東アジアの日本の美術」「第2部 世界と出会う、日本の美術」は、日本らしさを強調した官製美術史とは異なり、海外との交流を物語る日本美術を紹介するもの。海を超えて往来した人々、技術、観念の軌跡をたどる。

 例えば、重要文化財《三彩釉骨蔵器》(奈良時代)は、緑、白、黄色の3色を基本とする「唐三彩」の技術によって日本で生産された「奈良三彩」の代表作例。斑点文様は唐三彩の施釉技法だが、形自体は日本の須恵器にある薬壺形をしている。唐の文化を柔軟に吸収し、改変した様子がわかるものだ。

展示風景より、重要文化財《三彩釉骨蔵器》(奈良時代)

 国宝《宝相華迦陵頻伽蒔絵𡑮冊子箱》(919)は、空海が唐から持ち帰ったお経を収める箱。文様自体は唐の影響が濃厚な正倉院宝物のような配置だが、そこに描かれた霊鳥「迦陵頻伽(かりょうびんが)」の顔立ちは和風だ。

展示風景より、国宝《宝相華迦陵頻伽蒔絵𡑮冊子箱》(919)

 重要文化財《宝誌和尚立像》(平安時代)は観音の化身と信じられた南北朝時代の僧・宝誌和尚の立像。顔部分の造作は、面を裂いて観音の姿をあらわしたという説話に基づくものだ。奈良時代に中国から伝わったとされる宝誌和尚の姿だが、この像は日本で唯一現存する作例だという。

展示風景より、国宝《五智如来坐像》(平安時代)と重要文化財《宝誌和尚立像》(平安時代)

 なんとも色鮮やかな陣羽織は、豊臣秀吉所用のもの。孔雀や鹿など多彩なモチーフが綴織であらわされている。特殊な金属糸が使われていることから、サファヴィー朝ペルシアの宮廷工房で製作された室内装飾品だったと考えられており、南蛮船で輸入され、陣羽織に転用された。

展示風景より、重要文化財《鳥獣文様綴織陣羽織》(桃山時代)

 なんともインパクトのある坐像は、中国人仏師・范道生(はんどうせい)の代表作である、十八羅漢坐像のうち《羅怙羅(らごら)尊者像》(1664)。出家前の釈迦の子である羅怙羅が自らの胸を開き、自分の中に仏がいることを伝えている。范道生は隠元禅師によって宇治の萬福寺に招かれ、仏像を制作。その際、京都の仏師が手伝い、范道生の作風から影響を受け「黄檗様」と呼ばれる新しい様式が生まれた。

展示風景より、范道生作《羅怙羅尊者像》(1664)

 ここで紹介したものは全体のごく一部。約200件の出品作を通覧することで、様々な文化が「るつぼ」の中で溶け合うことで生まれた日本美術の多様性を実感できることだろう。

展示風景より、《レイピア写し剣》(江戸時代)
展示風景より、重要文化財《祇園会鯉山飾毛綴 見送》(綴織:ベルギー 16世紀、仕立て:江戸時代)
展示風景より、《西洋海浜風俗図屏風》(1810)