2025.6.27

「Dressing Up: Pushpamala N」(シャネル・ネクサス・ホール)開幕レポート。仮面の中の真実を探して

写真のなかで演じ、歴史や社会の構造を可視化するインド出身のアーティスト、プシュパマラ N。その日本初個展「Dressing Up: Pushpamala N」が、東京・銀座のシャネル・ネクサス・ホールでスタートした。会期は8月18日まで。

文・撮影=王崇橋(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より、プシュパマラ N「The Navarasa Suite(ナヴァラサ スイート)」シリーズ
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 写真を主要なメディアとし、視覚文化と歴史、フェミニズムの交差点を鋭く照射するインド出身のアーティスト、プシュパマラ Nの個展「Dressing Up: Pushpamala N」が、東京・銀座のシャネル・ネクサス・ホールで開幕した。

 本展は、シャネル・ネクサス・ホールの開館20周年を記念して昨年より始動した、アジアの写真家を紹介するシリーズの第2弾。2025年初頭に京都で開催された「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」におけるプシュパマラの展示に続き、日本での本格的な個展開催は今回が初となる。

展示風景より、プシュパマラ N「Phantom Lady or Kismet(ファントム レディ あるいはキスメット)」(1996–98)シリーズ

 プシュパマラ Nは、インド南部のバンガロール(現ベンガルール)を拠点に活動するアーティスト。彫刻家としてキャリアをスタートさせたが、1990年代半ば以降は写真や映像を中心とした表現へと移行。自身が様々な役柄に扮し、既存のイメージや神話、歴史、映画的手法を引用しながら演出された写真空間を構築する「フォト・パフォーマンス」や「ステージド・フォト」の先駆者として、国際的に高く評価されている。

展示風景より、プシュパマラ N「Phantom Lady or Kismet(ファントム レディ あるいはキスメット)」(1996–98)シリーズ

 本展では、ムンバイを舞台にした3つの代表作シリーズ「Phantom Lady or Kismet」「Return of the Phantom Lady」「The Navarasa Suite」が紹介されている。いずれも映画的な演出と明確な物語性を備え、伝統的なインド美学や大衆文化、国家的記憶といった主題を背景に、観る者に多層的な解釈を促す作品群である。

 会場での作品解説ツアーにてプシュパマラは、「このようなかたちで日本で大規模に作品を紹介できることをとても嬉しく思っています。まるで小さな回顧展のような展覧会で、日本でこれほどまとまったかたちで自分の作品を紹介するのは初めてです」と語った。

プシュパマラ N

 展示された作品はすべて、彼女自身が監督としてスタジオで演出・構成を行い、主演も務めるという構造になっている。キャストや技術スタッフは友人や非専門家によって構成されており、ハイテクなデジタル加工とは対照的に、アナログかつ演劇的な演出が用いられている。あえて作為性を強調することで、「真実とは何か」という問いを浮かび上がらせている。

 シリーズのなかでも「Phantom Lady or Kismet(ファントム レディ あるいはキスメット)」(1996–98)は、プシュパマラがフォト・パフォーマンスの手法を確立した初期の重要作である。モノクロ写真で構成された本作は、1930~40年代のフィルム・ノワールやインドのアクション映画、アメリカのコミック『Phantom』などを参照しつつ、仮面をつけた双子の姉妹による冒険劇が描かれている。プシュパマラは二役を自ら演じ、視覚文化や女性表象への鋭い批評性が込められている。

展示風景より、プシュパマラ N「Phantom Lady or Kismet(ファントム レディ あるいはキスメット)」(1996–98)シリーズ

 その続編にあたる「Return of the Phantom Lady(帰ってきたファントム レディ)」(2012)は、21点のカラー作品から成る。再び「ファントム レディ」が現代ムンバイの裏路地を駆け巡り、孤児の少女を救うために奔走する姿が描かれる。古びた映画館やカフェといったロケーションが物語を彩ると同時に、都市再開発によって変貌しつつあるムンバイの記憶を記録する試みでもある。

展示風景より、プシュパマラ N「Return of the Phantom Lady(帰ってきたファントム レディ)」(2012)シリーズ
展示風景より、プシュパマラ N「Return of the Phantom Lady(帰ってきたファントム レディ)」(2012)シリーズ

 さらに「The Navarasa Suite(ナヴァラサ スイート)」は、インド古来の美学における9つの感情(ラサ)をテーマに、自身がそれぞれを演じたセルフポートレイト・シリーズである。プシュパマラは、1950〜60年代のインド映画黄金時代を象徴する写真家J H タッカーのスタジオで、3年の歳月をかけて本作を制作。バロック的な照明や過剰なポーズが、リアリズムよりもファンタジーや物語性に重きを置いたインドの写真史を想起させる。

展示風景より、プシュパマラ N「The Navarasa Suite(ナヴァラサ スイート)」シリーズ

 展覧会全体を通して、一見ユーモラスで記号的な演出の裏に、インド社会におけるジェンダー、歴史、視覚文化の再編と批判的再解釈が深く潜んでいる。作品にはテキストやナレーションが一切なく、観る者に自由な解釈と物語創造の余地が委ねられている。プシュパマラは、「物語は必ずしもひとつではなく、写真の順番を変えればハッピーエンドにもバッドエンドにもなる。解釈の余白こそが重要」と語っている。