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2025.4.5

「ニュー・ユートピア」展(弘前れんが倉庫美術館)開幕レポート。「ここではないどこか」を想像する

開館5周年を迎えた弘前れんが倉庫美術館で、「ニュー・ユートピア——わたしたちがつくる新しい生態系」展が開幕した。地域と歴史、記憶と想像を往還しながら、「ここではないどこか」を探る本展の見どころをレポートする。

文・撮影=王崇橋(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より
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 2020年の開館から5周年を迎えた弘前れんが倉庫美術館で、開館5周年記念展「ニュー・ユートピア——わたしたちがつくる新しい生態系」展が始まった。

 タイトルにある「ユートピア」という言葉は、16世紀のイギリスの人文学者トマス・モアが著した小説に由来する。モアはこの物語において、当時のイギリス社会に内在する矛盾や問題点を批判的に見つめ、「現実には存在しない理想の場所」を逆説的に描き出した。

 展覧会を企画した同館館長・木村絵理子は開幕に際して、次のように語る。「トマス・モアの描いた社会は、現代の私たちから見れば必ずしも理想的とは言えないかもしれません。しかし、自分たちの立ち位置を見つめ直し、『ここではないどこか』を想像するという営みは、時代を超えて有効であり続けると考えています。本展は、そのような視点から『新しいユートピア』をどう構想できるのかを、来場者とともに考える場としたいと思い、企画しました」。

木村絵理子

 会場では、現代アーティスト20組による作品と2点の歴史資料、計109点を展示。その多くは、開館以来同館がアーティストと協働し制作・収蔵してきたコレクション作品で構成されている。

「この5年間、美術館はアーティストとの『コミッション・ワーク』を軸に、新作の制作と収蔵を積み重ねてきました。本展では、その蓄積を一堂に紹介することができる貴重な機会でもあります。展示される作品群は、弘前や津軽地方、さらには青森、日本、アジアといった『私たちがいまいる場所』を、多様なアーティストの視点で見つめ直した記録でもあり、展覧会のテーマである『現在地の再考』と深く呼応しています。これまでの歩みとともに、これから加わっていくかもしれない作家たちとの新たな協働を通じて、『私たちの場所とは何か』を皆さんとともに考えていきたいと思っています」と木村は語る。

 展覧会は、同館の開館記念展で初公開されたナウィン・ラワンチャイクンとジャン=ミシェル・オトニエルの作品から始まる。前者は、同館の前身である煉瓦倉庫を建設した実業家・福島藤助や、弘前の町の形成、美術館の開館準備に携わった様々な人の肖像を描いた大作であり、後者は地元を代表する産業であるりんごをイメージしてつくられたインスタレーションだ。

展示風景より、ナウィン・ラワンチャイクン《いのっちへの手紙》
展示風景より、ジャン=ミシェル・オトニエル《エデンの結び目》

 続く展示室では、藤井光による映像作品《建築 2020年》が鑑賞者を迎える。この作品は、かつて酒造工場として使われた建物が美術館へと生まれ変わる様子を記録したもの。展示の冒頭と終幕に同じ映像が配置されており、美術館の誕生という時間の円環構造を象徴的に示している。

 歴史や家族の記憶を軸に、多様な表現手法で物語を紡ぐ小林エリカのインスタレーション《旅の終わりは恋するものの巡り逢い》は、弘前の旧陸軍第八師団の軍医であった祖父、弘前で生まれ育ち、「シャーロック・ホームズ」シリーズの翻訳を手がけた父、そしてその原作者であるコナン・ドイルという3人の人生が交錯する物語だ。フィクションとドキュメンタリーが織り交ぜられた本作は、美術館内の複数箇所に分散展示されており、鑑賞者は歩きながら物語を追体験することができる。

展示風景より、小林エリカ《旅の終わりは恋するものの巡り逢い》

 川内理香子は、刺繍、ドローイング、油彩といった異なるメディアを横断しながら、線による空間表現を追求してきた。本展では、自身最大となる新作刺繍作品を発表し、美術館の建築空間とも呼応する力強い存在感を放っている。

展示風景より、川内理香子の刺繍と絵画作品

 渡辺志桜里によるインスタレーションは、美術館全体を巡るチューブと水槽を通じて「外来種」という社会的な概念に問いを投げかける。展示されたビニールハウスでは稲の苗が育てられており、当初は特定外来生物に指定されるブルーギルの飼育が計画されていた。ブルーギルは戦後アメリカから持ち込まれた食用魚だが、現在は日本の生態系に影響を及ぼす存在とされ、飼育や展示には厳しい規制がある。いっぽうで、稲もまた大陸から伝来した外来種でありながら、日本の主食として受け入れられている。ブルーギルと稲という一見異なる対象に共通する「他者性」を通じて、日本の法制度や文化的受容のあり方が可視化されていく。

展示風景より、渡辺志桜里によるインスタレーション
展示風景より、稲の苗が育てられているビニールハウス

 SIDE COREは、現実と想像の地層が交錯する映像インスタレーションを展開している。《under city(地下都市)》は、東京の地下空間をスケートボードで滑走しながら撮影した映像作品。スケーターたちは地下鉄のトンネルや放水路など、日常的には立ち入ることのない場所を横断し、架空の地下都市をつくり出していく。いっぽうの《looking for flying dragon(竜飛を探して)》は、2020〜2021年に青森での滞在制作を経て完成した映像作品であり、青函トンネルや津軽海峡、竜飛崎にまつわるリサーチをもとに、いまは失われた地形や風景の記憶を現在の風景に重ね合わせて再構成している。

展示風景より、SIDE CORE《under city(地下都市)》
展示風景より、奥の映像作品はSIDE CORE《looking for flying dragon(竜飛を探して)》

 青森で生まれた工藤麻紀子は、自身の原風景でもある津軽地方の記憶をもとに、山と少女、街の風景を重ねた詩的な作品を発表。絵画という形式のなかに、個人の記憶と土地の記憶を静かに織り込んでいる。

 ユーイチロー・E・タムラの《草上の休息》では、19世紀の画家エドゥアール・マネの《草上の昼食》を参照しつつ、ペイズリー柄の大きなカーペット上に横たわるカウボーイ姿のパフォーマーが登場する。鑑賞者もまた、ペイズリー柄のアイテムを身に付けることで作品に参加することができる。見る者と見られる者の関係が入れ替わり、「休息すること」自体が作品化されている。

展示風景より、手前のカーペット作品はユーイチロー・E・タムラ《草上の休息》

 また、さとうりさによるバルーン作品は、古代のドルメン(巨石墓)に着想を得たソフトスカルプチャーで、美術館内外に分散的に展示されている。7月には緑地でのイベント開催も予定されており、さらなる展開が期待される。

展示風景より、さとうりさによるバルーン作品

 弘前出身の奈良美智は、本展でその原風景と創作の関係をたどるような展示を行っている。展示室内には、奈良が高校生だった1977年に立ち上げに関わったロック喫茶「JAIL HOUSE 33 1/3」が再現されており、そこでは奈良のルーツと音楽、そして弘前との関係が交差する。

展示風景より、ロック喫茶「JAIL HOUSE 33 1/3」の再現
展示風景より、ロック喫茶「JAIL HOUSE 33 1/3」の内部

 《Girl from the North Country(study)[北国の女の子(習作)]》は、アクリル絵具で描かれた作品ながら、油絵のような重厚な画面を持ち、落ち着いた色彩が特徴的だ。また、会場ではスタジオで音楽とともに即興的に描かれた「A Night Owl Like a Fish」シリーズも展示されており、音楽とドローイングの呼応が、奈良の創作の新たな一面を見せている。

展示風景より、右は奈良美智《Girl from the North Country(study)[北国の女の子(習作)]》。左の連作は「A Night Owl Like a Fish」シリーズ

 展覧会の終盤では、小林エリカによる物語の作品が完結を迎える空間に加え、畠山直哉が撮影したかつてのれんが倉庫の写真や、藤井光の映像作品が再び登場し、記憶の循環を示している。

展示風景より、展覧会の終盤で展示された小林エリカの作品
展示風景より、畠山直哉による写真シリーズ

 最後に登場するのが、佐藤朋子による音声インスタレーション。昨年のリサーチプロジェクト「白神覗見考」への参加をきっかけに弘前を訪れた佐藤は、台湾や韓国での滞在制作を経て、本作を完成させた。ベンチに座り、窓の外を眺めながら耳を傾けるその体験は、土地の伝説や記憶と新たな物語が交錯する静かな旅となる。また、出口近くには、昨年同館で個展を開催した蜷川実花による、弘前の桜を撮影した写真作品も展示されており、本展における「場所と記憶」の主題を華やかに締めくくる。

展示風景より、弘前れんが美術館の5年間の活動を振り返るアーカイヴコーナーとさとうりさのバルーン作品(部分)

 さらに本展では、津軽地方で出土した縄文時代後期の土器や、この地域の女性たちによって受け継がれてきた刺繍技法「こぎん刺し」も紹介されている。いずれも現代美術とは時代も文脈も大きく異なる表現だが、それぞれの時代を生きた人々の創意と工夫が刻まれた、かけがえのない「手仕事」だと言える。木村館長は、「そうした新旧2つの表現を通じて、『アートとは何か』『表現とは何か』という問いを、津軽という土地を起点に、大きな時間軸のなかで見つめ直す場としたい」とその意図を明かしている。

津軽地方で出土した縄文時代後期の土器と「こぎん刺し」の展示

 縄文土器の文様に関しては、弘前大学の上條信彦の学術協力を得ており、北海道や沖縄など遠隔地でも類似の文様が見られることが明らかになっている。これは、縄文時代の人々が決して孤立した生活を営んでいたわけではなく、広範なネットワークを通じて他地域と交流していた可能性を示唆している。

 また、本展では津軽地方で出土した弥生時代の土器も見どころのひとつだ。かつて考古学の世界では、「東北地方、とくに青森には弥生時代が存在しなかった」とされていた。しかし、近年の発見によりその定説は覆されている。本展では、津軽が有する独自の歴史に光を当てると同時に、地域に刻まれたもうひとつの時間軸を浮かび上がらせている。見慣れた歴史の構造を見直し、土地に刻まれた記憶を再発見するきっかけとなるだろう。

津軽地方で出土した弥生時代の土器の展示

 木村は「本展を通して、弘前、そして津軽という土地を、多様な視点から見つめ直し、さらにほかの土地へと想像を広げる契機としたい」と語る。展覧会タイトルにある「新しい生態系」とは、生物学的な循環のみならず、社会的なつながりや記憶の往還をも含意している。5年という節目を越えて、いかに新たな歴史を紡ぐことができるのか——その問いを来場者一人ひとりに託す展覧会となっている。