2026.3.31

蜷川実花が立ち返る「写真を撮ること」の原点。下北沢DDDARTで「mirror, mirror, mirror mika ninagawa」プロジェクトを見る

東京・下北沢のギャラリーDDDARTで、蜷川実花による個展「mirror, mirror, mirror mika ninagawa」(3月13日〜5月31日)が開催されている。アートブックの制作に端を発したこのプロジェクトは、蜷川にとっていったいどのようなものとなったのか。アーティストにとってゆかりの深い下北沢という街で行われるプロジェクトについて、展示の中心となる座敷空間に腰を据え、話を聞いた。

文=山内宏泰

「mirror, mirror, mirror mika ninagawa」展の中心となる空間
前へ
次へ

いままでにない「アーティストブック」をつくる

 下北沢駅前の賑わいから少々離れた場所に、ひっそり佇む古民家がある。そこは現在、ギャラリースペース「DDDART」として運営されている。この静かな日本家屋の内部では、いま華やかで濃密な異世界が広がっている。蜷川実花の個展「mirror, mirror, mirror mika ninagawa」展が開かれているのだ。

 今春に北野天満宮境内で大々的に展開したインスタレーションをはじめ、京都市京セラ美術館、TOKYO NODEでの個展など、近年の蜷川実花の活動には大規模なプロジェクトが続いている。しかし、今回は趣を異にしている。こぢんまりとした親密な空間のなか、畳の部屋ではペンキをぶちまけるなど、作家がその衝動の赴くまま展示をつくり上げた感覚がひと目で伝わってくる。

 本展の意図を、作家本人はこう語る。「どんな仕事も創作も熱を入れて挑戦を重ねています。でも、私にとってはやはり写真がすべての原点であり、帰る場所です。どんなときも写真だけは呼吸をするように撮り続けてきましたし、大きなプロジェクトをやればやるほど、カメラで世界を切り取るシンプルな行為が輝いて見えてくる。そう感じているときに、今回のアーティストブックをつくろうという話が舞い込んできました。これまで出してきた100冊以上の写真集のどれとも異なる、私の『撮らずにはいられない』原始的な衝動を詰め込んだ本にしたいと、制作に取り組みました。本のかたちが見えてきた頃、自然と同じ熱量で展示もやろうという話になっていきました」。

 今回の展示は、アーティストブックの刊行を機に、その世界観を空間に展開しようと企画されたものだ。では、アーティストブック制作の経緯はどのようなものであったのか。

 「30数年のキャリアを通して、途切れず写真集をつくってきました。写真家にとって本は大事な表現手段です。とはいえ昨今は出版業が厳しい状況ですし、どんな画像もスマホで見られるようになっていて、写真集を持つ意味や買ってくださる層が大きく変わってきています。『この時代に本だからこそできる表現はなんだろう?』とはいつも考えていることです。たんに写真がきれいに見えるだけではなく、モノとして触れるのだけで楽しくて、ページをめくることで体験が立ち上がってくるようなものをつくりたいと思い立ち、手に取った人が一生大事にしてくれるような一冊を目指しました」。

アーティストブック『mirror, mirror, mirror mika ninagawa』。デザインは秋山伸が手がける

 そうした方針が定まれば、収載する写真もおのずと決まってくる。「撮影時期やテーマ、被写体の種類で写真を絞ってはいません。それよりも、自分のなかから湧き上がってくる何かをかたちにしたかった。セレクトの基準は言葉にしづらいのですが、『なぜ自分は日々写真を撮りたくなるのか』『なぜこんなに生き急いでいるのか』『すぐに新しい挑戦をしたくなる気持ちはどこからくるのか』といった問いが、いつも私のなかでは渦巻いているので、その答えを探るように写真を選んでいきました」。

アーティストブック『mirror, mirror, mirror mika ninagawa』。風呂敷とリボンを解くと、7冊の冊子やポストカード、ステッカーなどが現れる

 アーティストブックの「造り」は、凝りに凝ったものとなった。大きく3つのセクションに分かれた写真群は7冊の本に収められ、それらが一本のリボンで結ばれている。ところどころに蛇腹式のページやステッカーが挟み込まれているため、観る側はあちこちに目と手を奪われ、単調にページをめくるのではない読書体験が生まれている。

 イレギュラーな形態ゆえ、製本工程の多くは手作業となった。最後は、編集者をはじめスタッフが一冊ずつリボンを結んで仕上げていったという。蜷川実花が美大予備校に通っていた時代に描いた絵も、ポストカード状になって封入されている。「初めて公に出しました。金魚や花、蝶といったモチーフも、色の感覚も、『いま(の作風)とまったく変わってないじゃん』と周りからは言われています(笑)」。

蜷川実花ゆかりの街・下北沢での展覧会

 アーティストブックの完成が見えてきた頃、刊行に合わせて展覧会も開こうとの気運が高まり、開催へと動き出すことになる。

入り口は古民家らしい玄関から

 ブックの制作がきっかけとはいえ、この展示はまた独自の形態をとっている。順に見ていくと、古民家ゆえ入り口は「玄関」だ。靴を脱いで上がると小部屋がふたつあり、ひとつは額が盛大にデコレーションされた写真作品、もういっぽうでは小魚の群を撮った映像がマルチスクリーンで展開されている。

展示の中心となる空間には、写真、ペインティング、クリスタルといった、蜷川実花ならではのモチーフと色彩が縦横無尽に広がる

 廊下を通って展示の中心となる広い部屋へ。そこは壁、床、柱とあらゆる面が鮮烈な蜷川カラーで彩られ、天井からはクリスタルが吊り下げられ、無数の写真がそこかしこに掛けられている。

 「展示に臨むとき、いつもなら展示プランやマケットをつくるんですが、今回は『現場で考える!』と宣言して、とにかく材料だけを持ち込んで、ずっとここで作業していました。畳が色とりどりになっていますが、床にペンキをぶちまけたいという願望は前からあって、やるならここだなと思い実現させました」。

会場奥に進むと一転、ホワイトキューブのような空間が現れる

 廊下を渡り、奥の部屋へ足を踏み入れると一転、白壁に桜の写真が整然と並ぶ空間が現れる。「桜は長らく撮り続けているモチーフのひとつです。邪心を持たず、何を意識するでもなく、ダイレクトに目の前のものとつながれたとき、初めて良い写真が撮れるものです。桜を眺めているとき、私はそういう状態になりやすいみたいです。前の展示空間の賑やかさと、こちらのミニマムな空間の静けさのギャップはかなり大きいですが、その振り幅の広さは私の特性であって、どちらも私のなかにある一側面だなと感じます」。

古民家の庭には大きなスクリーンが設置され、数千枚にものぼる蜷川の写真作品が映し出される

 さらに展示は庭へと続く。植栽の手前には大きなスクリーンが設置されており、スライド式に写真作品が延々と映し出されている。その写真は数千枚にのぼり、上映は約30分にも及ぶ。時刻や気候によって、その見え方は刻々と変わっていきそうだ。訪れたのは早春のうららかな日和で、陽光のなか蜷川実花の鮮やかな花々の写真を眺めるのは新鮮な体験だった。

 「入れ込んだ写真は、ごく初期のものもあれば、ついこのあいだ撮ったものもあります。それらがごちゃ混ぜになったスライドを見ていると、私は『生きること』と『撮ること』が本当に一体化してしまっているなと、改めて自分でも感じます」。

 縁側に座って尽きることのないスライド写真を見ていると、ふとどこにいるのかを忘れてしまいそうになるが、ここは下北沢だ。蜷川実花は、この近隣に12年間暮らしていたという。

 「住んでいたのは子供が幼い時期であり、父を亡くした時期でもあり、同時に映画を何本も監督していた時期でもありました。生活とクリエイションがマーブル状に入り乱れながら、すべてが濃い思い出として残っています。ギャラリーすぐ近くの緑道は、子供の三輪車を引いて散歩するコースでした。そこで撮った写真もたくさんあります。自分の原点に帰るような今回のプロジェクトは、展示するならぜひ下北沢でやりたいと強く願っていたので、ここで実現できたのはうれしいです。せっかくならプロジェクトを街に持ち出そうと、馴染みのお店に声をかけて、コラボレーションしていただくことになりました。いつも子供と通ったソフトクリーム・ロールケーキのお店やスープカレー店、お気に入りの古着屋さんに本・雑貨のヴィレッジヴァンガード。みなさん好意的に受け止めていただいて、ありがたいかぎりです。下北沢は相変わらずパワーにあふれていて、街全体がひとつの大きなライブハウスのように感じられます」。

写真がすべての原点であり、帰る場所

 熱量が高く、いつになく親密な空気をまとっているプロジェクト「mirror, mirror, mirror mika ninagawa」。会場を訪れる人々に、どのように楽しんでほしいと考えているのだろうか。

 「人の初期衝動がこれほど剥き出しになっている場は、なかなかないように思います。私の脳内を覗き込むような気持ちで、会場を訪れたりアートブックを手に取ってみたりしてもらいたいです。今回のプロジェクトでは『破壊、再生、また破壊』という言葉をキーワードとして掲げました。やってきたことに安住せず次へ、次へと進んでいきたいのが私の気質のようで、何かに追い立てられている感覚を持ちながらつくるのが好きなんです。ある種の緊張感のなかに身を置くことで生まれるクリエイションは確実にあるので、そこに期待している部分もあります。なので私はこれまでもこれからも、破壊と再生を繰り返しながらやっていくことになるでしょう。『ゆっくり素敵な老後を過ごす』というビジョンはまったく見えません(笑)。でも、このプロジェクトを進めているときがまさにそうでしたが、憑かれたようにものをつくっているときは、『幸せしかない!』と心の底から感じます。写真を撮ること、それを起点に何かをつくることは、もうやめられませんね」。

 「mirror, mirror, mirror mika ninagawa」プロジェクトのアートブックや展覧会は、蜷川実花という表現者の、もっともピュアな核心に触れる機会となりそうだ。

窓ガラスに貼られたフィルムの色彩が、太陽光によって古民家の空間にも反射している
蜷川実花

美術手帖プレミアム会員限定で、本展の特別企画を実施。
詳細はこちらから:蜷川実花個展「mirror, mirror, mirror mika ninagawa」(DDDART)のチケットを20名様にプレゼント