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2026.4.4

ソウルでひらくクィア・アートの新たな地平。「スペクトロシンセシス・ソウル」展をレポート

台北、バンコク、香港で展開されてきた大規模なクィア・アートの展覧会シリーズ「スペクトロシンセシス」。その第4回が韓国・ソウルのアートソンジェセンターで開催中だ。本稿では、主催者への取材やその展示構成を取り上げる。

文・撮影=王崇橋(編集部)

展示風景より
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 韓国・ソウルのアートソンジェセンターにて、香港のサンプライド財団による展覧会シリーズの第4回となる「Spectrosynthesis Seoul(スペクトロシンセシス・ソウル)」が開催されている。

 これまで台北(2017)、バンコク(2019–20)香港(2022–23)で開催され、2027年には東京都現代美術館での開催も予定されている本シリーズ。今回のソウル展は、クィアを主題とした韓国初の大規模な美術館展であり、74組のアーティストが参加するシリーズ最大規模の構成となっている。

展示風景より、壁紙の作品はアヨン・キム《Evening Peak Time Is Back (Feat. character illustrations from 1172)》(2022)。中央のゲーム作品は同作家《Delivery Dancer Simulation》(2022)

 サンプライド財団の創設者パトリック・サンは、本展の開幕に際して次のように語る。「スペクトロシンセシスはサンプライド財団のコレクションを見せる展覧会だと思われがちですが、そうではありません。財団のコレクションはあくまで出発点にすぎず、キュレーターとアーティストがそれを再構成し、開催地の文脈に応答するかたちで新たな展覧会が生成されます」。

 そのなかでも今回のソウル展は、とりわけローカル性を強く打ち出した構成となっている。参加作家のうち約半数が韓国出身であり、サン自身も「これはこれまでの回とはまったく異なる展覧会だ」と述べる。その特徴を彼は「ヴァリデーション(正当化)」「ローカライゼーション」「グローバリゼーション」という3つのキーワードで説明する。

展示風景より、左はチョン・ウジン《Knit 400kg》(2026)。右の壁面はキャンディス・リンの作品

 まず「ヴァリデーション」とは、クィアの存在が制度的な空間において正式に承認されることだ。ソウル中心部に位置し、長年にわたり現代美術の言説形成を担ってきたアートソンジェセンターで開催されること自体が、クィアの文化的実践の正当性を示す行為となる。次に「ローカライゼーション」として、韓国の歴史や社会状況に根ざした作品やリサーチが展覧会の核を形成している点が挙げられる。そして「グローバリゼーション」として、今回は初めてアジアに限定せず、欧米を含む国際的な作家が参加している。

 展覧会は大きく2つのセクションから構成される。前半の「The Two-Sided Seashell」はアートソンジェセンターの芸術監督キム・ソンジョンによるキュレーションで、美術館全体を「移行的な空間」として再編する試みだ。いっぽう、後半の「Tender: Invisibly Visible, Unlocatably Everywhere」はキュレーターのイ・ヨンウによって構成され、韓国のアーティスト20名と香港の作家1名の作品を通じて展開される。記憶、場所、形式という3つの軸を手がかりに、韓国におけるクィア・アートの現在地を捉え直すと同時に、都市のなかに形成されてきたクィアな空間のあり方を再考するセクションとなっている。

「Tender: Invisibly Visible, Unlocatably Everywhere」の展示風景より

 また本展では、アーティストのキム・ソンファンがサンプライド財団のコレクションから作品を選定し、それに応答するかたちでエッセイを執筆するという試みも導入されている。コレクションを固定的なものとして提示するのではなく、アーティストの視点を介して再解釈するこのアプローチは、本展に厚みを与えている。

展示空間の拡張と「クィア化」

 実際に会場を歩くと、その特徴は明確に現れている。展示はホワイトキューブにとどまらず、廊下や階段、ボイラー室、さらにはトイレといった場所にまで拡張されている。サンはこの点について「会場そのものをクィア化している」と表現する。鑑賞者は一定の動線に従うのではなく、空間を横断しながら作品に出会うことになる。

展示風景より、左の映像はハ・ジミン《Felt out of joint as a girl》(2026)。中央はイ・ウソン《Like Wind and Water: Gathering Without Staying》(2026)

 こうした空間構成は、クィア・コミュニティの歴史がしばしば非可視的で断片的なかたちで存在してきたことと響き合う。作品は必ずしも完結した形式をとらず、未完のものや断片性を含んだものも多い。サン自身も「断片的で未完成のように見える作品が、クィアの歴史そのものをよく反映している」と述べる。

 本展の印象的な作品のひとつが、オ・インファンによるインスタレーション《Where He Meets in Seoul》(2020/2026)だ。会場の床一面に、ソウルのゲイバーやクラブ、サウナなどの名称が香の粉で書き記され、それに火がつけられる。展示空間には独特の香りが立ち込め、時間の経過とともにその痕跡は消えていく。

展示風景より、オ・インファン《Where He Meets in Seoul》(2020/2026、部分)

 サンはこの作品について、「クィア・コミュニティの場がいかに儚く、移ろいやすいかを示している」と語る。実際、世界各地でクィアのための場所は消滅と再生を繰り返してきた。香が燃え尽きるプロセスは、そうした歴史そのものを象徴している。

 また、韓国系アメリカ人作家カン・スンリーの「Untitled (Harvey)」シリーズ(2025)には、サンフランシスコの政治家でゲイの権利活動家ハーヴェイ・ミルクの庭から受け継がれたサボテンがモチーフとして用いられている。そこには、世代や地域を超えて継承される記憶と連帯の物語が重ねられており、サンはこれを「レガシーの継承」として読み解くことで、文化や地理を越えた接続の象徴として位置づける。

展示風景より、壁面はカン・スンリー「Untitled (Harvey)」シリーズ(2025)

 展示を通して強調されるもうひとつの視点は、「クィア=特定の人々の問題ではない」という認識だ。写真家ツェン・クワン・チーの写真シリーズ「East Meets West」(1979–89)を例に、サンはこう語る。「クィア・アートは決してエロティシズムだけではない。私たちは誰もが、ある文脈において少数者になりうる」。

展示風景より、左から2番目上はツェン・クワン・チー《New York, NY (World Trade Center)》(1979)、3番目は同作家《San Francisco, California (Golden Gate Bridge)》(1979)

 本展で展示された同シリーズでは、ツェンは毛沢東を想起させる中山服を身にまとい、「訪問者」と記されたIDバッジを胸に付けた姿で、ゴールデンゲートブリッジや世界貿易センタービルといったアメリカの象徴的なランドマークの前に立つ。中国系としてアメリカに生きたツェンの立場は、性的マイノリティであることとも重なり合い、多層的な「他者性」を示す。こうした視点を通じて、観客は自身と異なる存在への共感へと導かれるだけでなく、自らの内にもまた他者性が存在することに気づかされる。

 「あなたのなかに私があり、私のなかにあなたがある」。サンが語るこの言葉は、本展全体を貫く思想を端的に表している。それは差異を強調するのではなく、その重なりや揺らぎに目を向けることで他者理解へと向かう態度だ。

展示風景より

「クィア」をめぐる認識の更新

 キュレーターのキム・ソンジョンは、「クィア・アートは特別なものではなく、同時代のアートの一部だ」と語る。観客が既存のステレオタイプを超え、新たな視点で作品と向き合うことを期待しているという。

 サンもまた、展覧会そのものが直接社会を変えるとは考えていないが、いっぽうで、「積み重ねによって波紋が広がること」を重視する。その意味で、「スペクトロシンセシス」は単発のイベントではなく、継続的な対話のプラットフォームと言えるだろう。

展示風景より

 実際、本展では会期中にトークやレクチャーが予定されており、社会学者や批評家を交えた議論が展開される。さらにシリーズは2027年2月に東京都現代美術館へと巡回予定で、アジア各地を横断するネットワークとして拡張を続けている。

 サンによれば、東京での展開について現時点で詳細は明かされていないものの、「これまでとはまったく異なる展覧会になるだろう」と語る。そのうえで重要な要素として挙げられるのが、徹底したローカライゼーションだという。

 ソウルという都市において初めて実現したこの大規模展は、クィア・アートの可視化にとどまらず、その語り方そのものを更新する試みだ。そしてそれは、他地域へと広がっていくなかで、さらにどのようなかたちへと変容していくのだろうか。引き続き注視したい。

展示風景より、デュー・キム《The Body Interface》《Inversion Chamber》(いずれも2026)