2025.12.14

FUTURA、藤原ヒロシ、KAWSが語る「東京」の魅力とは?

東京エディション虎ノ門を会場に、レジェンドとして知られるアーティスト・FUTURAを迎えてトークイベントが行われた。スペシャルゲストに藤原ヒロシ、KAWSが登壇。「FUTURA in Conversation with Hiroshi Fujiwara and KAWS」のレポートと、美術手帖に向けてFUTURAが特別に応じてくれたメールインタビューの内容をお届けしたい。

文=中島良平

トークイベントに登壇した藤原ヒロシ、FUTURA、KAWS
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日本はインスピレーショナルであり続けている場所

 2025年11月17日、FUTURAは70歳の誕生日を迎えた。その翌日に開催されたこのトークイベント。ファッションブランドBEDWIN & THE HEARTBREAKERSのデザイナーである渡辺真史がモデレーターを務め、トークが進められた。まずFUTURAは初来日について質問されると、次のように答える。

 「じつは、私が70歳、ヒロシが61歳、KAWSが50歳と、面白い世代間のつながりがあるんですが、私が東京に初めて来たのが、そのKAWSが生まれた50年前のこと。1975年です(注:実際のKAWSの誕生年は1974年)。富士山などのステレオタイプな日本のイメージしかもっていなかったけど、すごく綺麗で現代的な街で驚いたことをよく覚えています。

 そして2回目が1983年で、『ワイルド・スタイル』という前年にニューヨークでつくられたヒップホップムービーのプロモーションで、DJやブレイクダンス、グラフィティというヒップホップカルチャーを紹介するためのツアーに参加しました。それ以降、50回は言い過ぎかもしれないけど、30回以上は日本に来ていますが、大切な友人も大勢できて、いつでもインスピレーショナルであり続けている場所だと感じています」(FUTURA)。

左から、KAWS、FUTURA、藤原ヒロシ、渡辺真史

 その『ワイルド・スタイル』ツアーのオープニングでDJを務めたのが藤原ヒロシだった。

 「原宿にあったピテカントロプスというクラブで行われたんですが、そこで僕がDJをしました。すごい大勢の人が来ていたので僕はあまりFUTURAとは話せなかったけど、そのあとに六本木のクラブに行ったことなどを覚えています」(藤原ヒロシ)。

藤原ヒロシ

 それからFUTURAは来日を繰り返し、90年代に入ると藤原ヒロシやグラフィックデザイナーのSK8THNGらと関係を深め、東京のシーンと近い関係で度々コラボレーションを行ってきた。そうした関係はいまも変わらず、70歳の誕生日を迎えてもなお、精力的に制作活動を続ける。誕生日に因み、「イサム・ノグチさんと同じ誕生日なんです」とFUTURA。2021年にニューヨークのノグチ ミュージアムの招きで、イサム・ノグチの照明彫刻「AKARI」シリーズにハンドペインティングを手がける「FUTURA AKARI展」を実施したことがある。

 「ミスター・ノグチがつねに前進を続けたのと重なるようにも思いますが、私は次に生まれる作品がベストなものだと考えているので、いつでもエキサイティングに制作に取り組んでいます。過去を振り返ったり、思い出に浸ったりするのではなく、現在を生きて、いつでも未来のことを考える。コマーシャルプロジェクトにも多く関わっていますが、来年からは少し抑えて、アトリエでの作品制作に取り組みたいですね」(FUTURA)。

FUTURA

 近況の話として、藤原とKAWSが続く。

 「とくに大きな話があるわけではありませんが、いつも通りやるべき案件をこなしていく予定で、強いて言えば、韓国のBANAという音楽レーベルと今年契約したので、アルバムをつくれればと思っています」(藤原ヒロシ)。

 「いまは休暇を楽しんで、来年1月あたりから制作について考えていきたいと思っています。ウィーンの美術館で展示があるのと、ニューヨーク植物園で作品を発表する予定なので、それに向けて動き出します」(KAWS)。

KAWS

なぜ東京がいまも重要なのか

 今回のトークイベントのテーマは「Why Tokyo Still Matters(なぜ東京がいまも重要なのか)」。その質問には思い思いの回答があった。

 「どの都市が重要か、重要ではないかというのを考えたことはありません。コンスタントなエネルギーがあるかどうか、そういう点では、東京で知り合った人たちは本当によく働く。ニューヨークは怠け者が多い。そこは対照的で、新しいものを見つけ、掘り下げ、学ぼうとする人たちから多くのインスピレーションを受けます。そして、カオティックであるいっぽうで、とても統制が取れていて、超平和でもある。刺激的な街です」(FUTURA)。

「東京は刺激的な街」だと話すFUTURA

 「言葉で言い表すのは難しいですが、個人的な感覚として。東京にはほかの都市には見えないようなある種の感受性が働いていると感じます。その背景には、変わり続けるいっぽうで、伝統を重んじている部分があるんじゃないかな。文化がこの国ならではの方法で築かれてきた。そこがすごく面白いし、様々な人に影響を与えるのではないでしょうか」(KAWS)。

 「僕は拠点が東京なので視点が変わりますが、海外に行くことが多くて、その度に必ずすぐにホームシックになるんですね。東京に帰りたくなる。そこには魅力があると思うんです。街を歩いていても比べてしまって、海外に行けば行くほど、東京の良さに気付かされる。そして何よりも、仕事がやりやすいんですよ。スムーズで、時間が有効に使える。時間の流れがいい街なんじゃないでしょうか」(藤原ヒロシ)。

 最後に観客として来場したVERBALからFUTURAに対し、70年代から精力的に活動し、世界へと活躍の場を広げてきたFUTURAの視点から見て、当時と現在を比べて、どちらの時代の方がチャンスは多いかと質問が投げかけられた。

 「明らかにいまのほうがチャンスは多いと思います。多くのものが手に入るし、オープンになってメディアも増え、つながりが広がるようになった。アイデアやイメージ、思想など、あらゆるものの発信、交換が容易になりました。私が旅する機会に恵まれ、90年代にヒロシやグラフィックデザイナーのSK8THNGなどと知り合って、それから仕事を続けてこられたのは非常にラッキーでしたが、いまなら、遠くに旅をしなくてもつながり何かを共有できるようになった。若い世代はそのチャンスをうまく活用していると思うし、そこから新しいものが生まれることに期待したいですね」(FUTURA)。

 そして、自分は脳もハートもまだまだ若く、100歳までアクティブに生き続ける予定だから、これからも若い世代にインスピレーションを与え続けられると、スーパーポジティブなコメントを残してくれた。

 「子供の頃に『戦場にかける橋』という映画を見たんですが、そのなかで日本人の大佐がイギリス兵の捕虜たちにいうセリフにとても印象に残ったものがあります。“Be happy in your work(自分の仕事に喜びを感じてほしい)”というセリフです。自分が制作を続けるうえで、その言葉を大事にしています」(FUTURA)。

傲慢さ、自己満足、そして強欲を避ける

 トークショーとは別に、FUTURAがメールで特別に美術手帖の取材に応じてくれた。

──何度も東京を訪れてきて、アーティストとしてどのようなものからインスパイアされてきましたか。

FUTURA 私はつねに周囲に目を向けています。建築、インフラ、ファッション、デザインなど、様々なものを観察しています。東京はそうしたあらゆる分野が豊かであり、私の友人を含め、人々の親切さは群を抜いていると思います。

──東京の人々から感じる独自性があったら教えてください。

FUTURA 言葉で定義にするのは非常に難しいですが、東京では人々のものの進め方が明らかに異なります。彼らは自分の技術に真摯に取り組み、細部や成果へのこだわりは、私個人にとってもとても刺激的で影響を受けています。

──FUTURAさんはストリートでグラフィティを描くことに始まり、企業からのコミッションワークや、キャンバスにおける抽象表現などへと制作を広げ、止まることなく表現を発展させてきました。つねにいまと未来を見て、新しくあり続けるために心がけていることはありますか。

FUTURA はい。傲慢さ、自己満足、そして強欲を避けるよう心がけています。

──では、アーティストとしてもっともエキサイティングな瞬間とは?

FUTURA 白紙のキャンバスに向かい、創作のプロセスを始めるその瞬間です。未知への神秘や、何か意義深いものを生み出せるのではないかという挑戦に手をつけたとその瞬間に感じられるからです。