FUTURA、藤原ヒロシ、KAWSが語る「東京」の魅力とは?
東京エディション虎ノ門を会場に、レジェンドとして知られるアーティスト・FUTURAを迎えてトークイベントが行われた。スペシャルゲストに藤原ヒロシ、KAWSが登壇。「FUTURA in Conversation with Hiroshi Fujiwara and KAWS」のレポートと、美術手帖に向けてFUTURAが特別に応じてくれたメールインタビューの内容をお届けしたい。

日本はインスピレーショナルであり続けている場所
2025年11月17日、FUTURAは70歳の誕生日を迎えた。その翌日に開催されたこのトークイベント。ファッションブランドBEDWIN & THE HEARTBREAKERSのデザイナーである渡辺真史がモデレーターを務め、トークが進められた。まずFUTURAは初来日について質問されると、次のように答える。
「じつは、私が70歳、ヒロシが61歳、KAWSが50歳と、面白い世代間のつながりがあるんですが、私が東京に初めて来たのが、そのKAWSが生まれた50年前のこと。1975年です(注:実際のKAWSの誕生年は1974年)。富士山などのステレオタイプな日本のイメージしかもっていなかったけど、すごく綺麗で現代的な街で驚いたことをよく覚えています。
そして2回目が1983年で、『ワイルド・スタイル』という前年にニューヨークでつくられたヒップホップムービーのプロモーションで、DJやブレイクダンス、グラフィティというヒップホップカルチャーを紹介するためのツアーに参加しました。それ以降、50回は言い過ぎかもしれないけど、30回以上は日本に来ていますが、大切な友人も大勢できて、いつでもインスピレーショナルであり続けている場所だと感じています」(FUTURA)。

その『ワイルド・スタイル』ツアーのオープニングでDJを務めたのが藤原ヒロシだった。
「原宿にあったピテカントロプスというクラブで行われたんですが、そこで僕がDJをしました。すごい大勢の人が来ていたので僕はあまりFUTURAとは話せなかったけど、そのあとに六本木のクラブに行ったことなどを覚えています」(藤原ヒロシ)。

それからFUTURAは来日を繰り返し、90年代に入ると藤原ヒロシやグラフィックデザイナーのSK8THNGらと関係を深め、東京のシーンと近い関係で度々コラボレーションを行ってきた。そうした関係はいまも変わらず、70歳の誕生日を迎えてもなお、精力的に制作活動を続ける。誕生日に因み、「イサム・ノグチさんと同じ誕生日なんです」とFUTURA。2021年にニューヨークのノグチ ミュージアムの招きで、イサム・ノグチの照明彫刻「AKARI」シリーズにハンドペインティングを手がける「FUTURA AKARI展」を実施したことがある。
「ミスター・ノグチがつねに前進を続けたのと重なるようにも思いますが、私は次に生まれる作品がベストなものだと考えているので、いつでもエキサイティングに制作に取り組んでいます。過去を振り返ったり、思い出に浸ったりするのではなく、現在を生きて、いつでも未来のことを考える。コマーシャルプロジェクトにも多く関わっていますが、来年からは少し抑えて、アトリエでの作品制作に取り組みたいですね」(FUTURA)。

近況の話として、藤原とKAWSが続く。
「とくに大きな話があるわけではありませんが、いつも通りやるべき案件をこなしていく予定で、強いて言えば、韓国のBANAという音楽レーベルと今年契約したので、アルバムをつくれればと思っています」(藤原ヒロシ)。
「いまは休暇を楽しんで、来年1月あたりから制作について考えていきたいと思っています。ウィーンの美術館で展示があるのと、ニューヨーク植物園で作品を発表する予定なので、それに向けて動き出します」(KAWS)。








