2025.4.17

サンプリングと再構築。松山智一が語る「いまを生きる美術」

ニューヨークを拠点とするアーティスト・松山智一の東京初となる大規模個展「松山智一展 FIRST LAST」が麻布台ヒルズ ギャラリーで開催中。異なる文化、ジャンル、歴史が交差するなかで、多文化主義の変容や宗教、商業とアートの境界を問い直す作品を制作し続ける松山に、近年の制作や新作シリーズ、コラボレーションの意図などについて話を聞いた。

聞き手=岩渕貞哉(「美術手帖」総編集長) 構成=王崇橋(ウェブ版「美術手帖」編集部)

個展会場での松山智一 撮影=稲葉真
前へ
次へ

日本での評価と新たな接点の創出

──雑誌『美術手帖』では2021年の6月号で松山さんの特集が組まれています。そのときは、中国・上海での龍美術館の大型個展がありました。しかし、日本ではJR新宿東口駅前広場のパブリック・アートやギャラリー(KOTARO NUKAGA)での個展があったものの、新型コロナウイルスの影響もあり、日本での発表機会は限られていました。その後、2023年に弘前れんが倉庫美術館で個展「雪⽉花のとき」を開催し、今回ついに東京での大規模個展が実現しました。日本での反響について、率直なお気持ちをお聞かせください。

松山智一 ありがとうございます。正直なところ、まだ実感が湧いていない部分もありますが、ひとつはっきりと感じていることがあります。それは、『美術手帖』が特集を組んでくれたことをきっかけに、美術館のキュレーターたちの目に僕の作品が映り始めたことです。とくにアカデミズムの世界では、僕がアメリカで独立して活動してきたという経歴がユニークなものとしてとらえられ、最初に注目してもらえたのだと思います。

松山智一 撮影=稲葉真

 その後、秋元雄史さん、南條史生さん、建畠晢さんといった、日本の美術界を牽引してきた方々が僕の活動を評価してくれました。そうすることで、海外で活動する日本人作家として、ようやく日本の上の世代の方々にも認知されるようになったと感じています。

 そして今度は、保坂健二朗さんや木村絵理子さんといった僕らの世代のキュレーターたちが、僕の作品を「いまの日本の美術作家として、欧米圏で活動する立場や距離感、コンテクストのなかで評価できるもの」として受け止めてくれるようになりました。こうして、日本の美術館やインスティテューションとの距離が縮まり、今後の日本の美術シーンを担う人たちに届くようになってきた。日本で僕の作品を広めてくれる方々が増えてきたことを、強く実感しています。

──内覧会には多くの人が訪れ、作品に素直に反応していることが印象的でした。鑑賞者は、言葉で説明されるのではなく、その身体で色彩や構図、ディテールなど作品が持つエネルギーを感じとっているように見えました。松山さんの作品は、美術の専門家だけではなく、より広い層に向けて開かれていることを実感しました。

展示風景より

松山 そうですね。ただ、たんに「ポピュラリティ(大衆性)」という言葉だけで語るのではなく、「美術をどう伝えるのか」ということをつねに考えています。僕はアメリカで活動を始めた当初、表現の場がなかったので、ミューラル(壁画)を描いたり、屋外空間を使ったりしながら少しずつギャラリーへと進出していきました。そして、より大きな舞台に行けば行くほど、美術館で展示されるようになればなるほど、作品が届く層が限定され、鑑賞者数が圧倒的に減るという現実に直面しました。

 美術館での展覧会が増えるにつれ、「どうすればアカデミズムの枠を超えて、より多くの人に作品を伝えられるのか」という課題を、より強く意識するようになりました。視覚的なアプローチなのか、メッセージ性なのか、教育的要素なのか──様々な可能性を考えながら、試行錯誤を続けています。

 今回の展覧会では、とくに空間のつくり方を重視しました。僕が目指しているのは、「イマーシブ(没入型)」な体験ではありません。しかし、作品と鑑賞者のあいだに対話が生まれ、展覧会全体を通じて時間軸が生まれ、ストーリーテリングのような流れを感じられるようにしたいと考えました。そのために、展示室ごとに名前をつけ、それぞれの部屋がひとつの章のような役割を持つことで、展覧会全体が物語としてつながるように構成しました。

記号と象徴の再構築

──松山さんは、デザインを学びながら、美術についてはニューヨークに渡ってから独学で習得し、みずからの視覚言語や造形言語を獲得してきました。2023年の弘前から今回の作品を見ていくと、それがさらに一段階進化し、より高次元の表現に達しているように感じました。とくに印象的なのは、非常に複雑な要素が共存していながら、ひとつの画面として違和感なくまとまっている点です。影の有無、写実的なモチーフ、アニメや漫画的な表現が混然一体となりながらも、統一感を保っている。画面を構成していくその自由度が増しているように見えましたが、ご自身ではどのように感じていますか?

松山 やはり、長い年月をかけて新しい技術を開拓していく意識はつねに持っています。そのなかで、岩渕さんが指摘された「影」は、自分にとっても大きな変化のひとつです。昔の作品にはほとんど陰影を入れていませんでした。それは、ひとつには僕自身がアカデミックな美術教育を受けていなかったため、「写実的な表現はできない」と自ら決めつけていたこと。そしてもうひとつは、「描かない」こと自体が自分のスタイルの一部になっていたからです。

展示風景より

 しかし、「ファースト・ラスト」シリーズでキリスト教的なテーマを扱い始めたとき、必然的にルネサンス絵画に遡ることになりました。それを改めて見直すなかで、「光と影」は西洋絵画において極めて重要な技法であることを再認識し、自分の作品にも積極的に取り入れようと考えました。その結果、グラフィカルな要素と、例えば17世紀の静物画のような要素が融合し、視覚的な違和感を持つ「マリアージュ(融合)」を生み出すことができるようになりました。

 例えば、《Divergence Humble Solitaire》(2024)では犬が描かれていますが、これは17世紀の動物画の影響を受けたものです。また、柑橘類はかつて高級品として静物画の典型的なモチーフでした。これらの要素をインテリアのなかにフィクションとして配置しつつ、影のある部分とない部分を意図的に共存させることで、視覚的な違和感をつくり出しています。こうした手法を探求するなかで、「異なる要素をどのようにひとつの画面に収めるか」をつねに試行錯誤してきました。そして、「光」を加えることで、より奥行きが生まれ、作品のなかのモチーフが際立つようになったと感じています。

展示風景より、左の作品は《Divergence Humble Solitaire》(2024)

──これまでは、異なるモチーフを組み合わせる手法が大きな特徴でしたが、今回はそこにさらに空間的な操作が加わっているように思います。モチーフの重なりだけではなく、異なる空間同士が絡み合い、新しい構造を生み出しているように感じました。そうした空間の統合は、どのようにして生まれたのでしょうか?

松山 今回のシリーズでは、インテリアデザインの要素を取り入れることで、より複雑な空間構成に挑戦しました。その過程でとくに興味を持ったのは、フランスの絵画の「記号性」(*1)を現代の文脈で再構築することです。

 今回参照したフランスの絵画には、あらゆる要素が記号として配置され、それらが組み合わさることで物語が形成されるという特徴があります。僕は、この記号のシステムを現代に置き換えたらどうなるのかを探求しました。また、日本美術の影響も取り入れています。例えば、細部まで緻密に描き込むことや、記号性の再構築といったアプローチです。日本の美術における象徴的な描写と、フランスにおける絵画の記号性を掛け合わせることで、新たな視点を生み出そうと考えています。

松山智一 Lost Full Cycle 2024 キャンバスにアクリル絵具、ミクストメディア  335×266.7cm

 例えば《Lost Full Cycle》(2024)という作品では、複数の建築雑誌から引用した異なる階段のイメージを組み合わせ、果てしなく上昇していくような構造をつくり出しました。そこに登場する若者たちは、まるで同一人物の成長過程を表しているかのようでもあり、ニューヨークの老舗イタリアンレストランに使われていたシマウマ模様の壁紙や、ジグマー・ポルケの描いたヤシの木など、文化的な記号も随所に配置しています。こうした構成によって、「上昇」とは何か、「どこまで上がれば満足なのか」といった問いを、見る人に委ねるような絵画を目指しました。

松山智一 Bring You Home Stratus 2024 キャンバスにアクリル絵具、ミクストメディア 330×307cm 

 もうひとつの《Bring You Home Stratus》(2024)では、京都の旧三井家下鴨別邸と、ビバリーヒルズに実在するスペイン植民地様式の邸宅をつなぎ合わせることで、東西の「豊かさの象徴」とされてきた空間をひとつの画面に共存させました。変形キャンバスには、田中一村やカミーユ・コローの風景を参照した自然の要素も描き込まれています。画面中央の2人の人物は、アンニーバレ・カラッチの《キリストとサマリアの女》(1594-95年頃)を引用した構図から発想を得ており、本来は宗教や民族、性の違いを超えた普遍的な救いの場面です。しかしこの作品では、東西の風景が強引につながれたように、2人の若者のあいだにも違和感やズレをあえて組み込み、それぞれがまったく異なる文脈のなかに配置されているような構造にしています。ここでもやはり、記号のレイヤーをずらしながら現代の文脈に読み替えることで、新しい物語を立ち上げるという試みをしています。

*1──ここで言う「記号性」とは、ロラン・バルトらが展開した記号論的視点を指し、絵画におけるモチーフや構図、色彩が文化的・歴史的文脈をもとに意味を持つものとして機能することを意味します。例えば、フランスの画家ジャック=ルイ・ダヴィッドの《ソクラテスの死》(1787)は、構図や光のコントラスト、登場人物の配置すべてが哲学的・倫理的メッセージを担う視覚的テクストとなっており、高度に記号化された絵画の一例です。松山の作品においても、過去の記号的イメージ──ルネサンス絵画から報道写真、ポップカルチャーに至るまで──をサンプリングし、文化的・政治的なコンテクストをずらしながら現代の新たな意味体系として再構築している点に、この「記号性」への意識が表れています。

──両義的な表現になっているということですね。

松山 そうですね。僕自身、これまでキリスト教のモチーフを作品に取り入れることを避けてきました。それは、自分の生い立ちと深く関係しています。僕は牧師の家庭に生まれましたが、自分の意志で洗礼を受けた信者ではなく、いわゆる“ボーン・クリスチャン”でした。幼少期から信仰を叩き込まれる環境で育ったため、教会にはここ10年以上行っていません。しかし、長年刷り込まれた影響で、ルネサンス絵画を見れば、そこに描かれた聖書の物語や象徴を自然と理解してしまうんです。

松山智一 撮影=稲葉真

 そうした背景のなかで制作したのが、《We The People》(2025)という作品です。この作品では、アメリカという国を象徴するものを、一見ポップで日常的なモチーフに置き換えることで、現代社会の構造や矛盾を浮かび上がらせようとしました。例えば、画面にはカラフルなシリアル──フルーツループのような、栄養価はほとんどないのに広告やキャラクターで魅力的にブランディングされた食品が描かれています。こうした商品は、アメリカのファーストフード文化や消費社会を象徴する存在なんです。

松山智一 We The People 2025 キャンバスにアクリル絵具、ミクストメディア 293×533cm

 さらに、そうした「食」に続くのが「薬」なんですよね。アメリカでは、スーパーの薬局コーナーで鎮痛剤などが簡単に手に入るし、処方箋薬のテレビコマーシャルもごく当たり前に流れている。最近では「ゾンビドラッグ」と呼ばれる動物用鎮静剤が流通し、オピオイド中毒の問題も深刻です。でも同時に、アメリカに来たばかりの頃、僕自身もそのスーパーマーケットの圧倒的なスケールに感動したんです。「ここで何かを成し遂げたい」というリアルな感覚があった。だから、この作品は批判だけじゃなくて、そうしたアメリカの魅力とダークサイドが同居する現実を描いているんです。

 作品タイトルの「We The People」は、アメリカ建国時のスローガンに由来しています。画面の中央には、ソクラテスがタンクトップ姿で立ち、ホワイトイーグルとともに、「FREEDOM」と書かれた星条旗が背景にある。つまり、「何を食べるのか、どんな薬を飲むのかも、すべて個人の自由だ」というアメリカの価値観を、現代的な記号として描き出しているんです。

松山智一 We The People 2025(部分)
松山智一 We The People 2025(部分)

 これまでの作品は、「日本からアメリカへ」という視点でつくられていました。つまり、東洋の精神性や仏教的な思想が根底にあり、それを英語という言語を通じて表現していた。しかし、そこにキリスト教を持ち込むことは、どこかアメリカ文化に迎合しているように見えてしまうのではないかという抵抗がありました。

 しかし、あるとき気づいたんです。僕の生まれ育った環境では、英語でも日本語でもなく、「キリスト教」こそが自分の公用語だったのだと。そこから、キリスト教の要素を作品に取り入れることに抵抗がなくなり、むしろ堂々と扱うべきだと考えるようになりました。その結果、僕の作品が急激にグローバルな視覚言語として機能し始めたのです。キリスト教の象徴性を使うことは、ある意味で普遍的な記号を持つことでもあり、それが現代のグローバルな社会において強い言語になりうると実感しました。

 僕はニューヨークで生活するなかで、アメリカという国がキリスト教的な価値観を基盤にして成り立っていることを改めて感じています。僕自身、そのなかで育ったので理解はできますが、同時に「何か違和感がある」とも思う部分があります。しかし、だからこそ、キリスト教という「公用語」を使って、その矛盾やアンビバレントな部分を表現することができる。いま、それを語ることが重要だと感じています。

多文化主義の変容

──近年アメリカでは、福音派と呼ばれる宗教的なアイデンティティが国家を動かしているとも言える状況があり、いわゆる「宗教ナショナリズム」の影響が強まっています。現在のトランプ政権下ではとくにその傾向が顕著になっています。松山さんは、アーティストとしてこのアメリカの変化をどのように感じていますか?

松山 今回の大統領選挙を見ていて、僕自身も驚くことが多かったです。多様性や個人の尊重を重んじる人々は、当然ながら反トランプ派が多かったと思います。しかし、蓋を開けてみると、Z世代の51パーセントがトランプに投票していた。この結果は、アメリカ社会が「多様性」という概念に対して、ある種の疲弊を感じ始めていることを示しているように思います。

 つまり、「つねにマイノリティの声を聞き続けなければならない」「あらゆる発言がハラスメントと見なされる」という状況に、若い世代が息苦しさを感じているのではないか。そのなかで、「トランプは言ったことを実行する」というキャラクターが、一種の映画の登場人物のように映ってしまっているのかもしれません。アメリカは俳優のロナルド・レーガンを大統領に選んだ国ですし、政治とエンターテインメントが影響し合う文化があるがあるので、今回の選挙でもそうした要素が大きく影響したのではないかと感じます。

展示風景

 今回の選挙では、ジョー・バイデンが数ヶ月前に撤退を決断し、カマラ・ハリスがわずか3ヶ月で一気に支持を集めたものの、最終的には急激に失速しました。そして、開票結果を見ると、共和党が予想外の州でも勝利を収め、まるでフィクションが現実に起こっているかのようでした。

 そういったアメリカの分断や、宗教と政治が複雑に絡み合う状況を、僕なりに咀嚼して描いたのが《Catharsis Metanoia》(2024)という作品です。左側にはアメリカの郊外住宅、右側には日本家屋を思わせる空間を描いていて、それぞれに座る2人の人物はまるで別世界にいるように、お互いに視線も交わさず存在に気づいていない。両者のあいだには、かの有名な報道写真《硫黄島の星条旗》のシルエットが、まるで亡霊のように立ち上がっています。

 この写真は日本では「敗戦」の象徴でありながら、アメリカでは「平和の象徴」として記憶されている。つまり、ひとつのイメージが国や文脈によってまったく異なる記号として受け取られるということを、あらためて強く意識させられました。そのほかにも、戦時中のアメリカ海軍のマスコットが描かれたヘルメットや、メトロポリタン美術館の東洋陶磁のコレクションを模した本棚など、東西の文化や歴史が交錯するモチーフを散りばめています。

松山智一 Catharsis Metanoia 2024 キャンバスにアクリル絵具、ミクストメディア 279×384cm 

 タイトルにある「メタノイア」は、キリスト教における「回心」を意味する言葉です。父が牧師であるという自身の出自も含め、アメリカという国に精神的にも物質的にも多くを与えられながらも、それに対する複雑な感情や問いを込めた作品です。つまり、信じていたものを一度疑い直し、そこから新たな視点で向き合う──そんな“精神の転回”が、いまのアメリカ、そして自分自身にとっても必要なのではないかという思いが込められています。

──これは文化戦争、価値観をめぐる闘争という面も大きいと思います。グローバル化や多文化主義の恩恵を受けてきた人々にとって──日本人アーティストとしてニューヨークで台頭してきた松山さんもここに含まれるかと思います──これからの状況はより複雑になっていくかもしれません。例えば、美術館での企画やアカデミズムの研究者の活動にも影響が出てくるのではないでしょうか。ただ、松山さんのようにこれまでサバイブしてきたアーティストなら、この変化のなかでも新たな可能性を見出せるのではないかともと思います。

松山 これまでアメリカのアートシーンは、ポップ・アート以降、約40〜50年にわたって「マルチカルチュラリズム(多文化主義)」が中心的なイデオロギーでした。それは、アメリカが世界のリアリティを「西洋のチャンネル」を通じて見せるという構造でもあったと思います。そして、アジアに関しては、「アジア系ディアスポラ(移民コミュニティ)」として扱われることが多く、それ以外の視点があまり受け入れられてこなかった。しかし、いまアメリカ国内では、多文化主義そのものよりも、「文化が重層的に折り重なっている」という視点が重要視され始めていると感じます。

 例えば、「ブラック・ライヴズ・マター(BLM)」の影響を受けて、アメリカの美術館はジェンダーやエスニシティをより意識的に取り入れなければならなくなりました。こうした動きからも、いまアメリカが問うているのはたんなる「多様性」ではなく、「アメリカという国のなかで、異なる文化がどのように共存しているのか」ということだと感じます。

展示風景

──日本は政治的・経済的・文化的にアメリカの変化の影響を直接受ける国ですが、やはり少し時差をもって変化が訪れる傾向があります。近年、日本でもようやくダイバーシティが強く意識されるようになってきており、しばらくはその方向に進んでいくのではないかと思います。いっぽうで、トランプ時代のアメリカではすでにDEI(多様性、公平性、包括性)の限界や変容が議論されており、今後日本へどう影響してくるのかが注視される状況です。

 そう考えると、松山さんの作品を日本で見るという経験は、アメリカの社会状況を先取りして体験することにもつながるのかもしれません。そして、それが日本人である松山さんの視点を通じた表現であることで、日本の観客にとってもより受け入れやすいかたちになっているのではないかと思います。この点に限らず、日本で作品を発表する意味について、どのようにお考えですか?

松山 まさにそこなんですよ。本当に強く感じています。例えば、僕らの先輩である村上隆さん、奈良美智さん、杉本博司さんといったアーティストたちは、日本とアメリカ(ときにヨーロッパ)との関係性のなかで、自分たちの声を明確に打ち出し、コンテキストのはっきりした作品をつくってきました。それは、彼らが1990年代という時代において、強いメッセージ性を持つことが必要だったからこそ可能だったのだと思います。

 しかし、僕らの世代が同じ方法をとっても、時代の要請が違うため、あの時代と同じような影響力を持つことは難しいでしょう。むしろ、僕らがやるべきことは「外から中を見る視点」と「中から外へ発信する視点」の両方を持ち、それを往還しながら新しい接点をつくることではないかと思います。

 僕自身、海外で創作活動を始めた日本人アーティストとして、いまの世界の動き、とくにアメリカを基軸とした国際的な視座を、日本の観客に提示することができる。それが、自分が日本に対して貢献できることのひとつではないかと考えています。

美術の境界を問い直す

──話は少し変わりますが、今回の展覧会では非常に多くのコラボレーションが行われていますよね。ファッションブランドやスナック菓子「うまい棒」とのプロジェクトなど、話題性のあるものも多いですが、しかし通常の展覧会のグッズ制作とは異なっている。そこには、松山さんがアーティストとして活動していく際の思想やアイデンティティが大きく関わっているように感じました。「展覧会の記念に持ち帰ってもらう」というレベルではなく、もっと深い狙いがそこにはある。そのあたりの考え方や、コラボレーションの位置づけについてお聞かせください。

第7章「トリビュート+コラボレーション」の展示風景より

松山 僕の世代にとって、「サンプリングのカルチャー」は創作の根幹にあります。1990年代以降、音楽やファッションの世界では「カット&ペースト」の手法が発展し、新たな表現方法として確立されました。例えば、ヒップホップが生まれた後にエレクトロミュージックが進化し、デトロイトやニューヨークを拠点に世界へ広がっていった。既存のものに最大限のリスペクトを払いながら、それを「自分だったらどのように使うのか」と受け入れる精神──言い換えれば「DIYの精神」で新しいものを生み出すという姿勢です。これが、僕の創作の根幹にある「クロスオーバー」の考え方にもつながっています。

 日本はもともと、1960〜70年代にはジャンルの垣根がほとんどない文化を持っていました。建築家とファッションデザイナー、グラフィックデザイナーが映画制作に関わったり、KENZOが横尾忠則と組んだり、ISSEY MIYAKEがアーヴィング・ペンやフランク・ゲーリーとコラボレーションしたりと、異なる分野が自由に交差していた。日本の文化は本来、そうしたジャンルの壁がないものだったんです。

 今回、麻布台ヒルズ ギャラリーで展覧会を開催するにあたり、美術館ではなくこの場所で行う意義を強く感じました。ここでこそ、自分の創作の根幹にある「商業と文化、美術とファッションの融合」を試みるべきだと考えました。

 最終的に、展覧会の最後のエリアには「トリビュート」として、これらのプロジェクトを集約しました。音楽の世界では「トリビュート」は亡くなったアーティストに捧げるものですが、今回はまだ存命の人々とともにつくり上げたものです。その真ん中には、僕自身がサンプリングしてきた資料のファイルを配置しました。これが僕の創作の根底にあるものであり、今回の展覧会を締めくくる重要な要素だったんです。

第7章「トリビュート+コラボレーション」より

──最後に、この展覧会を見に来た方々にどのようなメッセージを届けたいと考えていますか?

松山 「美術とはどこにあるのか?」という問いですね。僕らは美術の歴史をずっと遡ることができます。過去の作品に敬意を払いながら、新しい文脈のなかで再構築していく。そうやって、僕らがいま直面している「美術館におけるアーカイヴとしての美術」と「いまを生きる美術」という2つの概念のあいだには、まだ距離があると感じています。

 多くの人は、美術をどこか遠い、高尚なものと考えがちです。でも、僕らにとって美術は日常そのものなんですよね。その「日常」と「アートのコンテキスト」とのあいだには、もはや「ハイ」と「ロー」の区分すら必要ないのではないか。

 例えば、メトロポリタン美術館に展示されている浮世絵の役者絵。あれって、当時の感覚で言えば、ブラッド・ピットのポスターを壁に貼っているのと同じようなものでした。でも、それがメトロポリタン美術館や大英博物館に収蔵されることで「美術」として定義される。そう考えると、「美術館にあるから美術」「商業施設にあるから違う」という区別は、たんなるレッテルに過ぎないのではないかと思うんです。

 今回の展覧会では、その「境界」を曖昧にする試みをしました。サンプリングを通じて、アートをより等身大のものとして提示したかった。それが僕にとって、絶対的に意味のあることだと思っています。でも、そうして試行錯誤しながらつくり上げたものだからこそ、鑑賞者にもダイレクトに伝わるものがあると信じています。

第7章「トリビュート+コラボレーション」より