第92回:尾上弘「幾何学的な命の編み目」

ヤンキー文化や死刑囚による絵画など、美術の「正史」から外れた表現活動を取り上げる展覧会を扱ってきたアウトサイダー・キュレーター、櫛野展正。2016年4月にギャラリー兼イベントスペース「クシノテラス」を立ち上げ、「表現の根源に迫る」人間たちを紹介する活動を続けている。彼がアウトサイドな表現者たちに取材し、その内面に迫る連載。第92回は、定年後から創作活動をはじめ、「いのちを編む」をテーマに自らの探究を続ける尾上弘の活動について考察する。

文=櫛野展正

自宅で作品を紹介する尾上弘 撮影=筆者
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「みんな違ってみんないい」

 初めて尾上弘(おのうえ・ひろし)さんの作品を目の当たりにしたとき、不思議な感覚に陥った。そこに鎮座するのは、カブトムシやキリン、あるいはいまにも跳ねそうな鯉。その生々しい造形が、じつは「紙バンド」という、手芸店にある事務的な素材で編み上げられている。たんなる模写ではない。生き物の骨格を一度バラバラにし、自分の手で組み立て直したような、理にかなったリアリティがそこにはあった。

尾上弘が編んだキリン
尾上弘が編んだ孔雀

 尾上さんの歩みを知るほど、「アウトサイド」という言葉の境界線が曖昧になる。1954年、静岡県周智郡春野町(現在の浜松市天竜区春野町)に生まれた彼は、人生の大部分を学校という組織のなかで過ごしてきた。算数教師として教壇に立ち、最後は小中一貫校の校長として組織を率いた。しかし、その内側に一貫して流れていたのは、本人も「へそ曲がり」と認める、既存のやり方に対する静かな違和感と、底知れない探究心だった。その灯火は、71歳を迎えたいま、誰にも真似できないかたちとなって爆発している。彼の作品は、教育現場で培った思考の論理と、故郷の記憶、そしてひとりの人間として貫いてきた考え方が、紙の繊維にまで編み込まれた人生の記録のように見える。

 尾上さんの原風景は、天竜区春野町宮川の豊かな自然のなかにある。気多(けた)営林署に勤め、植林などに従事していた父の背中を見ながら、川で鮎を追い、木々に触れて育った。小学校5年生から父とともに投網に行き、友釣りに明け暮れたという経験は、対象の動きや本質をじっと見極める「観察者の眼」を彼に授けたのだろうか。中学校での徒手体操、高校での柔道、そして大学での少林寺拳法と、つねに自他の身体構造やバランスを意識する環境に身を置いてきたことも、現在の造形感覚と無関係ではないはずだ。

 そんな彼が教職において直面した大きな転機は、30代半ばの出来事だった。1991年、浜松市立北小学校時代に東京大学大学院の佐伯胖教授から受けた、「あなたの授業はやらせだ」という痛烈な指摘。それを機に、彼は教師が敷いたレールを歩かせる授業を捨て、子供が自ら問い、動き出すスタイルへと舵を切った。彼が提唱したのは「DiCii(ディシー)」と名付けたアクティブラーニングの実践である。Dialogue(対話)を重ね、Collaboration(協働)し、その先に自発的なInquiry(探究)を導き出す。4人グループに1台のミーティングボードを導入し、子供たちが顔を突き合わせて難問に挑むその場は、誰ひとり取り残さず、個性を尊重するための闘いでもあった。

 また、学級崩壊という言葉が広まりはじめた頃、彼は道徳的な正論の押し付けに限界を感じていた。「僕のことなんか誰もわかってくれない」という子供の叫びに触れ、一人ひとりの気持ちに寄り添う関係づくりと、自尊感情を支える教育を最優先事項に据えた。彼が説き続けた「みんな違ってみんないい」という言葉は、組織のなかで個の自由な精神を守り抜くための、彼自身の祈りに近いものだった。

機能美への敬意が生み出した独自の技法

 校長として2015年に定年退職した後、彼を再び創造の世界へ引き戻したのは、やはり抑えきれない探究心だった。区役所での生涯学習の仕事を通じて紙バンドに出会うと、算数教育で培った構造への執着が再点火する。地域の伝統である「浜北のかざぐるま」を竹から紙バンドへと進化させ、強度を増すために和紙を貼り込むなど、素材の限界を超えた使い方をゼロから開発していった。

 決定的な転機は、68歳で迎えた市民ミュージアム浜北での勤務だ。そこで治水工事に使われた「蛇籠(じゃかご)」の模型を見た瞬間、眠っていた幼少期の記憶が鮮烈に蘇った。かつて洪水から人々の命を守ってきた竹製の蛇籠。戦時中の金属不足の時代に、知恵を結集して復活させた歴史的な背景。その機能美への敬意が、独自の技法「紙バンド蛇籠華編み」を生んだ。六つ目編みで動物のフォルムをつくり、その隙間に幾何学的な「華編み」を差し込む。この差し紐は、たんなる模様ではない。全体をカチカチに締め上げるクサビ(ブレース)の役割を果たし、構造的な強度を生み出すのだ。

 創作のプロセスは、生き物の種によって驚くほど多角的だ。鯉や金魚といった魚類では、9本取りのバンドを用いて腹の膨らみや背びれの伸びを自在に操り、「鱗崩し華編み」で本物さながらの質感を表現する。シラサギなどの鳥類になれば、首の曲線や胴体の厚みの変化、大きく広げた翼の構造を「ねじり編み」などの技法を駆使して実現していく。さらにキリンやキツネのような哺乳類では、頭部から後ろ足までを一気に編み進め、骨格に沿った流麗な曲線を再現。重力計算を見越したかのように、尻尾で絶妙にバランスを取り、作品を自立させる。

尾上弘が編んだ金魚
尾上弘が編んだライオン

 設計図は一切ない。かつて教室で子供たちがボードを囲んで正解のない問いに挑んだように、いまは深夜、自らの手元にある紙バンドと、生き物の生命のかたちについて「対話と探究」を重ねている。没頭ぶりは、静かだが激しい。夜の20時頃から作業を始めると、気づけば深夜の2時、3時になっているという。時間はいくらあっても足りない。編みはじめると、トイレ休憩以外はずっと没頭してしまうのだという。

いのちを編む

 60歳を過ぎてようやく見つけた、心から惹かれること。家族は「邪魔だね」と苦笑いし、子供たちは無反応だというが、それすらも彼にとっては心地よい自由なのかもしれない。以前は作品の一部を制作販売していたが、彼は作品を売ることをきっぱりとやめた。誰かのため、あるいは生活のためにつくることが、創作の純粋さを濁らせることを嫌ったのだ。ひたすら自らの探求を満たすために編む。

作品の説明をする尾上弘

 彼の創作テーマは「いのちを編む」だ。湿気に負けた作品を処分する際には、必ず「ごめん」と供養する。その姿には、たんなるものづくりを超えた、生命への深い敬意が滲む。尾上さんの歩みは、教員として子供たちに説いてきた考え方を、定年後の自らの人生で証明する旅路だと言える。組織という枠組みを抜け出した彼は、いま、誰にも真似できない自分だけの幾何学を、夜を徹して編み上げている。その造形は、人間は何歳からでも、自分なりの核を見つけ出し、熱中することができるのだということを、静かに物語っている。