EXHIBITIONS
グループ展「立ち顕れる―生きられた世界の見取り図」
GALLERY SCENA.が、アークヒルズフロントタワーの1階で、奥山帆夏、木下理子、澤田光琉、白石効栽、竹林玲香によるグループ展「立ち顕れる―生きられた世界の見取り図」を開催する。
奥山は1996年北海道生まれ。2022年東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了。取材した風景をもとに、色彩とともに抽象化した浮遊感を持つ絵画を制作する。
木下は1994年東京都生まれ。2019年武蔵野美術大学大学院造形研究科修士課程美術専攻油絵コース修了。水彩やサイアノタイプ(日光写真)などの技法を用いたドローイング、アルミホイルなどの身近な素材を使った立体、あるいはインスタレーションのような空間的な手法を用いて作品を制作する。
澤田は1999年滋賀県生まれ。2021年京都芸術大学美術工芸学科油画コース卒業。日常の中からモチーフを選び取り、光や影などの微細な変化をとらえ、対象を実体として理解しようとする。そのうえで、自身を取り巻く世界との関係性や距離を測り、隔たりを埋める手段としての絵画作品を制作している。
白石は1998年韓国生まれ、長野県出身。2024年京都芸術大学大学院修士課程芸術専攻油画領域修了。生まれ育った風景の記憶や自身の出自をもとに、自らの「土着性」とは何か、またそれがどのように絵画に表れるのかを問い続けている。
竹林は1998年大阪府生まれ。2022年京都市立芸術大学大学院修士課程油画専攻修了。自然が作り出す現象を観察し、キャンバス上に取り入れた絵画作品を制作している。
現実に触れたという実感を得にくい現代において、実存―生きてそこに在るということ―は、芸術家にとってどのように知覚されうるのか。本展では、フランスの哲学者モーリス・メルロ=ポンティが提唱した「生きられた世界」という概念を手がかりに、作品に表れた視覚イメージそのものではなく、それがいかにして「立ち顕れて」くるのか、そして作家が「つくる」という行為を通してイメージを引き寄せ、定着させるプロセスに焦点を当てている。
参加する5名の作家は、それぞれ絵画、写真、インスタレーションといった手法を用いて、記憶の中の風景、日常に潜む微細な変化や奥行きをすくいあげ、素材との対話を通して、作品という「場」に定着させている。こうして生み出された作品は、外から受け取ったイメージを投影したたんなるスクリーンとしての「見取り図」ではなく、作家自身を含む、いまだ名付けえぬ事物同士の関係性の在りようを体感しようとする芸術家たちの、痕跡としての「見取り図」であるといえるだろう。
奥山は1996年北海道生まれ。2022年東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了。取材した風景をもとに、色彩とともに抽象化した浮遊感を持つ絵画を制作する。
木下は1994年東京都生まれ。2019年武蔵野美術大学大学院造形研究科修士課程美術専攻油絵コース修了。水彩やサイアノタイプ(日光写真)などの技法を用いたドローイング、アルミホイルなどの身近な素材を使った立体、あるいはインスタレーションのような空間的な手法を用いて作品を制作する。
澤田は1999年滋賀県生まれ。2021年京都芸術大学美術工芸学科油画コース卒業。日常の中からモチーフを選び取り、光や影などの微細な変化をとらえ、対象を実体として理解しようとする。そのうえで、自身を取り巻く世界との関係性や距離を測り、隔たりを埋める手段としての絵画作品を制作している。
白石は1998年韓国生まれ、長野県出身。2024年京都芸術大学大学院修士課程芸術専攻油画領域修了。生まれ育った風景の記憶や自身の出自をもとに、自らの「土着性」とは何か、またそれがどのように絵画に表れるのかを問い続けている。
竹林は1998年大阪府生まれ。2022年京都市立芸術大学大学院修士課程油画専攻修了。自然が作り出す現象を観察し、キャンバス上に取り入れた絵画作品を制作している。
現実に触れたという実感を得にくい現代において、実存―生きてそこに在るということ―は、芸術家にとってどのように知覚されうるのか。本展では、フランスの哲学者モーリス・メルロ=ポンティが提唱した「生きられた世界」という概念を手がかりに、作品に表れた視覚イメージそのものではなく、それがいかにして「立ち顕れて」くるのか、そして作家が「つくる」という行為を通してイメージを引き寄せ、定着させるプロセスに焦点を当てている。
参加する5名の作家は、それぞれ絵画、写真、インスタレーションといった手法を用いて、記憶の中の風景、日常に潜む微細な変化や奥行きをすくいあげ、素材との対話を通して、作品という「場」に定着させている。こうして生み出された作品は、外から受け取ったイメージを投影したたんなるスクリーンとしての「見取り図」ではなく、作家自身を含む、いまだ名付けえぬ事物同士の関係性の在りようを体感しようとする芸術家たちの、痕跡としての「見取り図」であるといえるだろう。