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2026.3.31

地域レビュー(北陸甲信越):尺戸智佳子評「タムラサトル 開放的な接点 発電所にて電気を浪費する」、「めぐりあう今を映す―日本の現代ガラス 1975-2025」(富山市ガラス美術館)

ウェブ版「美術手帖」での地域レビューのコーナー。本記事では尺戸智佳子(黒部市美術館学芸員)が、美術家・タムラサトルが旧発電所で電気についての想像力を喚起させた「タムラサトル 開放的な接点 発電所にて電気を浪費する」(下山芸術の森発電所美術館)と、近現代日本のガラス表現の歴史を辿る「開館10周年記念:めぐりあう今を映す―日本の現代ガラス 1975-2025」(富山市ガラス美術館)の2展を取り上げる。

文=尺戸智佳子(黒部市立美術館学芸員)

「タムラサトル 開放的な接点 発電所にて電気を浪費する」展示風景、タムラサトル《白熱灯のための接点 #24》(2017) 撮影=柳原良平
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旧発電所の館内で電気とは何かを考える

「タムラサトル 開放的な接点 発電所にて電気を浪費する」(下山芸術の森発電所美術館)

 本展では、2007年から発表されてきた「接点」シリーズの新作《60の白熱灯のための接点》(2025)が、過去最大級のスケールで展示された。もともとは水力発電所であった空間で、9メートルもの高さから60個の電球が吊り下がり、流れ落ちる水のような流動性を感じさせる。それらの電球は、空間中央に設置された大きな鉄板と、そこに接している振り子とつながっていて、その振り子が揺らされると、火花を飛ばしながらこの巨大なスイッチのONとOFFが切り替わる。電球がダイナミックに点滅して空間全体の光が大きく揺さぶられる。床に敷き詰められた亜鉛メッキ鋼板に鈍く映し出される美しい光は稲妻のようで、点滅の度たびに、床面の彼方にその光を放出しているようだった。

「タムラサトル 開放的な接点 発電所にて電気を浪費する」展示風景 撮影=柳原良平

 その奥で豪快な金属音をたて点滅を繰り返すのは、横一列に電球が配置された《50の白熱灯のための接点 #11》(2025)だ。壁づけの大きな半円の鉄板2枚が隙間を開けて向き合う円形状の内面を、金属の棒がジジジと小さな火花を見せながら回転する。様々な電球の点滅とともに、金属同士が擦れる音、ぶつかる音、チチチ、パチパチという電流がスパークする音や光が、激しく時には静かに展示空間に放たれていた。

 「接点」シリーズは、この大掛かりなスイッチ、つまり作家のいう「開放的な接点」をつくり出すことで、普段は安全面の観点から閉鎖的に管理される電流を一時解放する。そのことによって引き出されるのは、生活のために消費される灯りやイルミネーションのような私たちが普段接しているそれとは異なる、根源的な電気そのものの動きやあり様である。そして、それが紛れもなく「現象」であることの可視化とその実体験である。解き放たれた電気との対峙は、憧れや畏怖を伴い、美しく厳かな空間体験となった。

「タムラサトル 開放的な接点 発電所にて電気を浪費する」展示風景、タムラサトル《50の白熱灯のための接点 #11》(2025) 撮影=柳原良平

 そのうえで、排水口や配電盤等、所々に配された小さな作品は、かつて水力発電所であった空間の特性をそっと照らし出していた。水力を利用して発電し、制御し送電したこの場所において、閉じられていたものが開かれること(そして、電気を多分に消費すること)で見出されるものは、美しさと脅威、自然と技術のあわいではないだろうか。

 そもそも、このようにダイナミックに電気を扱う作品は、細かなメンテナンスや緻密な配慮が不可欠だ。この空間の均衡が、様々な危険性やアンコントロールを回避しながらようやく成り立っていることは、多様な自然現象を人工的に利用する技術や社会のありようを照射することにもなり得うるだろう。

  最後に、電気の点滅は、何なによりも多くの電力を消費すると作家が教えてくれた。展覧会企画時においては、事業費だけではなく、電気代を気にしなければならない作品がある、ということも憶えておきたいと思った。

日本のガラス表現の歴史をどのように見せるのか

「開館10周年記念:めぐりあう今を映す―日本の現代ガラス 1975-2025」(富山市ガラス美術館

 本展は、富山市ガラス美術館の開館10周年を記念したもので、明治時代から1970年代前半までを扱った同館の展覧会「日本近現代ガラスの源流」(2023)の続編だ。70年代後半、ガラス造形のあり方は転換期を迎えた。それまで会社に属して職人の手を借りながら制作してきた作家が、自らの手でガラス作品を制作し始める。本展ではこうした動向と、その後の多様な表現の軌跡が体系的に紹介された。

「開館10周年記念:めぐりあう今を映す―日本の現代ガラス 1975-2025」会場風景 撮影=筆者

 展覧会は6章構成となっている。日本におけるガラス造形教育の開始や、小型溶解炉の開発普及とともに作家自らがガラスを扱い制作する「スタジオグラス運動」、海外のガラス作家を招聘した様々なレクチャーやワークショップの実施、そして数々の国際展の開催で作家たちの活動の場が広がっていった状況が明瞭に提示されていた。とりわけ、日本各地で開催された国際ワークショップを通して、参加者同士が交流し、互いの技術を伝え合い高め合った事実は非常に印象的だった。制作をサポートし合うことも多いガラス造形作家たちは、個人でありながらも集団的でもあるような独特のスタンスを持っている。こうした制作現場の雰囲気がどのように形成されたのか、その背景が腑に落ちた。そして、90年代にかけての空間への表現展開、2000年代のガラス素材を新たな視点で解釈していく試みと社会情勢への呼応などに触れつつ、とくに「記録と記憶」や「身体性」という観点から近年の動向として考察されていた。

 なお、企画者の中島春香は、ガラス制作における現在の状況について、ガラス作家の髙橋禎彦の言葉を引用し「ガラスが『考えるための道具となりうる』」ということがより発展した形で実践されていると言えるのではないかと語った(*1)。各々の作家が「めぐりあういま」と対峙し、素材を通して表れる様々な思考とその形の数々は、ガラス素材を起点とした表現の多様性とその可能性を実直に伝えるものだった。

「開館10周年記念:めぐりあう今を映す―日本の現代ガラス 1975-2025」会場風景 撮影=柳原良平 写真提供=富山市ガラス美術館

 また本展は、内容の専門性もさることながら、開放的で美しい空間が非常に印象的であり、美術史的内容や安全面を確保しながらもどのような空間体験をもたらしうるのかについて、自身の認識を新たにする貴重な機会となった。

 感銘を受けたのは次のようなところだ。1975年以降の日本ガラス造形史を紹介する箇所の導線や、限られた空間での多くの作品や資料の展示、提示される膨大な情報の調整(動向やトピックの解説、関連年表、個々の作品情報と解説等)と文字の可読性への配慮、さらに安全面における大きな台座やアクリルケースの使用、そして個々の作品のより良い見せ方の追求等、いずれも企画者が何ひとつ諦めていなかった。なによりも大量の情報や多くの台座やアクリルケースが、空間に対してネガティブに作用することなく、見通しの良い空間のなかで美しい調和を見せていた。

 さらに言えば、台座の高さに合わせて設計された低めの壁や、吊るされたベールのような仕切りは、反対側の空間のノイズやトーンを程よく抑え、それらを超えて重なり合うアクリル(とその中の作品)や、奥に見える空間は、ガラス作品の透明性や奥行きや重なりとも響き合っているようにさえ思われた。同様に、壁面で遮断されることなく緩やかにつながり合う空間は、スタジオグラス運動に大きな影響を受け、互いの技術をオープンにし、情報を交換し合いながら前進してきた日本のガラス造形の制作現場の様相に感じられた開放感とも重なり、会場全体が伸びやかで清々しい空気感に包まれていた。

「開館10周年記念:めぐりあう今を映す―日本の現代ガラス 1975-2025」会場風景 松尾里奈 unknown unknowns 2023 撮影=筆者

 本展は1975年以降の日本におけるガラス造形史を丁寧にたどりつつ、その素材感や制作現場の挑戦的で開放的な気風を会場全体に通底させ、かつ個々の作品との対話をもたらしていた。絶妙なバランスでひとつの空間に溶け合わったそれらは、個と全体、具象と抽象を行き来するような多層的な空間体験であり、その膨大な情報を浴びて多幸感に包まれた余韻は、見終わったあともずっと続いていた。

 *1──中島春香が講師を務めた展覧会関連プログラム特別講座「日本のガラス芸術史:明治から現代まで」(2026年1月10日、富山市ガラス美術館)を聴講した。