サム・バードウィル&ティル・フェルラス(台北ビエンナーレ2025・ディレクター)インタビュー
第14回目の台北ビエンナーレが、11月1日、台北市立美術館で開幕した。「地平線上の囁き」(Whispers on the Horizon) というテーマのもと、全世界37都市からの72人のアーティストによる、34点の委嘱制作や現地制作を含む150点の作品が展示されている。本展のキュレーターを務めるサム・バードウィルとティル・フェルラスに展覧会のねらいやテーマの選定についてインタビューした。

──台湾は二人にとってどのような場所ですか?
サム・バードウィル(以下サム) 初めて台湾を訪れたのは2014年で、以降もたびたび足を運んできました。台北には外国人を柔らかく包み込むような一面があります。アーティストのスカイラー・チェン(陳柏豪)とは、ニューヨークで出会ってから25年ほどの付き合いです。世界中のいたるところで台湾人が活躍しているし、映画や文学など台湾文化はさまざまな分野で力強い存在感を放っています。

──お二人の経験や背景、これまでどう歩んで今回の展覧会につながったかえてください。
サム 私はレバノンのベイルート出身です。内戦の最中に成長するなかで、創造的な思考こそが自分を取り巻く環境から抜け出し、状況に向き合う大きな助けになるという実感を得ました。アートは私にとって異なる現実を想像し、異なるつながり方を見つける手段でした。
卒業後は、学びや仕事のためにイギリス、フランス、アラブ首長国連邦のドバイ、ニューヨーク、ドイツなどさまざまな国を訪れました。ニューヨーク大学やドイツの美術学校で美術史と演劇を教え、そしてニューヨークでティルと出会って以来17年間、共に仕事を続けています。
ティル・フェルラス(以下ティル) 私はドイツで生まれました。分断されていた時代、つまり東ドイツと西ドイツという2つの国に分かれていた頃に育ちました。ドイツはいまでも完全な国とは言えず、ポーランドやロシアと正式な平和条約を結んでいません。言い換えれば、地理的にも歴史的にも、第二次世界大戦はまだ終わっていないのです。
私たち2人は、どちらも「完全ではない国」で育ちました。だからこそ、台湾の状況を少し理解できるように感じています。表面上は安定しているように見えても、実際には次に何が起こるのか分からない。ドイツの再統一も決して単純ではなく、何が起きたのかを整理することさえ難しかった。国家アイデンティティも、人によってまったく異なっていました。私はそうした「不完全な国」に生きる感覚に強く共鳴しています。
もちろん、私たちはこの土地の政治的な問題について発言する立場にはありません。しかし、台湾の人々と深くつながることはできると感じています。

──そうした感情が、今回のビエンナーレのテーマである「思慕(Yearning)」の基盤になっているのでしょうか。実際、今回参加しているアーティストの多くは出身地から離れて暮らしたり、移住したりというディアスポラの経験を持っています。
サム 人は移動を経験すると、ときに「自分の国に居場所がない」と感じることがあります。なかには、望まずして故郷を離れざるを得なかった人もいます。そうした経験こそが、他者への深い共感を育みます。さまざまな文化や生き方に触れることで自分の根源や所属を改めて見つめ直す、たとえ最終的に「帰る場所」にたどり着けなくても──それは移民としての、終わりのない旅でもあるでしょう。
──この展覧会の出発点となった3つのモチーフ、映画『戯夢人生』、陳映真の短編『わたしの弟・康雄』、そして呉明益の小説『自転車泥棒』は、どのような経緯で選ばれたのでしょうか。
サム これら3つの作品は、当初挙げていた十ほどの候補の中から選びました。プロジェクトを始める際には、できる限り現地の人々の声に耳を傾け、その土地の思考や感情を理解しようと努めますが、そのなかで自然と浮かび上がってきたのがこの3つでした。
最終的には、映画監督や作家、文化・歴史の研究者、そして多様な世代のアーティストらと長い時間をかけて議論を重ね、これらの物語がそれぞれに「思慕」、すなわち「Yearning」と深く結びつき、今回のビエンナーレ全体の基盤をかたちづくる重要な柱となることを確認しました。

──映画『戯夢人生』(ホウ・シャウシェン監督、1993)が選ばれた理由について教えてください。
サム 同じくホウ・シャウシェン(侯孝賢)監督の映画『悲情城市』を見たあと、リー・ティエンルー(李天祿)という人物について調べ始めました。彼は日本植民地時代、戦時期、戦後の国民党時代、戒厳令期、そして解厳後まで台湾の激動の歴史をすべて生き抜いた人物です。その長い歳月の中で、唯一手放さなかったのが、人形劇(布袋戯/ポテヒ)というアートでした。激しく揺れ動く社会のなかで、アートは彼にとって自らを支える拠り所であり、自分自身を定義するための手段でもあった。その姿が時代や場所を超えて、多くのアーティストたちに重なって見えました。

──ふたつ目のチェン・インチェン(陳映真)の物語『私の弟・カンション(康雄)』という作品には、今回のビエンナーレのおかげで初めて出会った人も多いと思います。
サム この作品は、「取り残された人々」への思慕を描いた物語だと感じました。社会の変化にうまく適応できず、迷いや違和感の中で自分の居場所を見いだせない若者が、最終的に自ら命を絶ってしまう。姉は弟の遺した日記を読みながら、なぜ彼がこの世界を離れざるを得なかったのかを理解しようとします。
「思慕」とは、ときに「すでにこの世にいない人を想い続ける」こととして現れます。その極端なかたちが「この世界から離れる」という選択です。1960年代の台湾では、多くの人々がそれぞれのかたちで社会的圧力や矛盾に向き合っていました。この物語は、そうした大きな変化の時代を生きた人々の姿を映し出しています。
──3つ目は、より近年の作品であるウー・ミンイー(呉明益)の『自転車泥棒』です。
サム この本を数年前に読んで以来、私たちは何度もこの作品について語り合ってきました。
物語は、父親の行方を追うひとりの男性の描写から始まります。彼は「父の自転車を探せば、父のことを理解できるのではないか」と考えますが、物語が進むにつれて、それは父と自分との関係だけではなく、家族、他者、そして歴史全体へと広がっていきます。日本植民地時代から受け継がれ、やがて失われていくもの──たとえば蝶の標本づくりのような技術や記憶──へのまなざしが重なり、「複雑な歴史の中で、自分の居場所をどう見つけるか」という問いが浮かび上がります。
この作品はきわめてローカルな文脈から生まれながらも、「普遍的な思慕」へとつながっていきます。主人公は父親を探しているけれど、本当に探しているのは自分自身の位置です。家族の物語、社会の複雑さ、そして世界との関係の中で自分がどこに立つのかを問い続けるという経験は、多くの人が共感できる普遍的な感情ではないでしょうか。
──これらのテキストをアーティストたちと共有する際に、どのようなかたちで対話を重ねたのでしょうか。なかでも、とくに深い共鳴や成果が得られたと感じる作品を教えてください。
サム 今回、3つの作品について私たちが書いた長い文章を図録用に準備し、同じものを全員に共有しました。そのテキストのなかでは、故宮博物院のコレクションにも触れています。
過去の台湾の政府が展示を通じて「中華文化の継承者」であることを示そうとしてきた歴史的背景なども含め、文化的アイデンティティの形成と政治の関係を考察しています。これらの資料は、「自分たちのアイデンティティをどこに置くのか」という問いと深く結びついており、アーティストたちは異なるかたちでこの問いに応答しました。
たとえば、地下2階に展示されているイ・スジョンの作品は、陶磁器の修復をテーマにしています。壊れたものを修復するという行為を通じて、故宮の文物や文化的記憶に向き合い、「傷ついたものは本当にもとに戻せるのか」という問いを投げかけています。

同じく、地下2階入口付近のチ・イン(致穎)の作品は、空の展示ケースを用いて、故宮博物院における展示や収蔵の「見せ方」そのものを批評的に扱っています。これは、提示した資料に対する非常に直接的な応答です。

いっぽう、ウー・ジャーユン(吳家昀)の作品は、故宮そのものをテーマにしてはいませんが、自身の移民としての家族史を掘り下げています。両親は中国大陸から台湾へ移り住んで「中国人」というアイデンティティを持ついっぽうで、ウー自身は台湾で育ち、台湾人としてのアイデンティティを抱く──その世代間の差異を描き出しています。

──今回の展示では、台北市立美術館のコレクションが多く取り上げられています。古典とモダニティ、そしてコンテンポラリーが同じ場に置かれていることは、台湾という場所のあり方と深く響き合っているように感じます。
ティル 台北市立美術館には、時代を超えた重要な作品が数多く収蔵されています。そこで今回は同館をたんなる会場としてではなく、そのコレクションを意識的に展示へ取り入れました。
同時に、今回参加している国際的なアーティストの多くは、移動、居住地の変化やアイデンティティの揺らぎといった経験を持っています。こうした経験は特定の時代や地域に限らず、誰にでも起こり得る普遍的なものです。
私たちはそこで、世界各地のアーティストたちを「横軸」とし、北美館のコレクションに含まれる過去のアーティストたちを「縦軸」として並置しました。異なる時代を交差させつつ、アーティストたちが同じテーマにどう応答してきたのかを見せたいと考えました。
サム 補足すると、コレクション作品の選定には多くの時間をかけ、現在出品しているアーティストたちとのあいだに強い共鳴を感じられる作品を慎重に選びました。
その代表的な例がチェン・チェンポー(陳澄波)です。陳澄波は、伝統と近代性のはざまに立つ存在であり、工場や電線といったモダニティの象徴を描き込みながら、日本統治下で変化していく社会の姿を画面に取り込みました。彼の構図には、見る者の視線を導く独自のフレーミングがあり、そこに現代的な感覚が見て取れます。同時に、彼の人生を振り返ると、二二八事件に巻き込まれ、逮捕され、最終的には公開処刑されています。画家として時代の変化を表現するだけでなく、ひとりの市民として正義を求める立場にも身を置いていました。芸術と社会の両面を体現していた点で、非常に重要なアーティストです。

今回選んだコレクション作品の多くは、そうした「ある世代の思慕や希求」を映し出すものです。たとえば、五月画会や東方画会の作家たちは、伝統に根ざしながら新たな表現や言語を模索しました。彼らの作品そのものが、時代への「思慕」を体現しているとも言えます。
陳澄波とリー・ツォンシェン(李仲生)は異なる世代を代表するアーティストですが、どちらも「自分の時代をどう視覚化するか」という問いに真摯に向き合っていたという点で共通しています。陳澄波は日本や西洋の絵画技法を取り入れ、それを自らのスタイルへと昇華させました。いっぽうの李仲生は、水墨や書といった伝統的な要素を出発点としながら、新たな絵画表現を切り開きました。彼の影響は1950〜60年代の多くのアーティストに及び、後の東方画会などの重要な潮流へとつながっています。


この2人のあいだには、絹本の絵画から出発し、半透明の素材を用いた現在のスタイルへと展開した韓国のアーティストの作品を配置しています。三者はいずれも、伝統に根ざしながらも新たな絵画言語を模索し、自らの経験と深く結びついた表現を生み出しているのです。
ティル 私たちはこのような組み合わせ方をよく行っています。むしろ、「これは日本美術」「これは韓国美術」「これはヨーロッパ美術」「これは19世紀の作品」といった区分だけでは、その作品が持つ豊かさや複雑さを語りきれないと感じています。
アーティストという存在は、ひとつの国籍や属性だけでは説明できません。カテゴライズするのではなく、異なる地域や時代のあいだに潜む共通点や連続性を探ることこそが、私たちの重要なアプローチのひとつです。
──今回の展覧会には3名の日本人アーティストが参加しています。今年は第二次世界大戦集結から80年という節目の年でもあり、展示の出発点となった3つの参照項のうち2つは、日本の植民地支配や被植民地の経験と深く関わっています。私自身、最初にこの3つのモチーフが「鍵」になると聞いたとき、日本人アーティストたちがより強く歴史的な文脈と結びついた表現を見せてくれるのではないかと期待していました。ところが、実際の作品ではそのような直接的な表現はあまり見られませんでした。
サム まずは、私たちは彼らの作品を心から尊敬し、深く愛しているということです。これまでも彼らの作品をさまざまな展覧会で目にし、「いつか一緒に仕事がしたい」と思ってきました。だから、彼らを招いた理由は「日本と台湾の歴史を象徴的に代表してもらうため」ではありません。
──つまり、作品そのものへの信頼と関心から選ばれたということですね。しかし、例えはさわひらきの作品《Nowhere in Myriad Layers》は「玉蘭荘」に取材したとありましたが、その関連性が見えづらいように思いました。彼らの作品をどのように位置づけますか。
サム 三人の日本人アーティストはいずれもキュラトリアル・ステートメントを丁寧に読み込み、その上で非常に優れた提案を返してくれました。
さわひらきはとくに多くの時間をかけてリサーチを行い、台湾の「玉蘭荘」(注:高齢の日本語話者を対象にしたデイケア施設)で日本語教育を受けた世代や、長く台湾で暮らしてきた人々にインタビューを重ねました。さわは、そうした人々の記憶や声を作品に取り込み、個々の体験を立体的に描き出そうとしました。なかには日本の植民地時代を「良い時代だった」と語る人もいれば、まったく異なる感情を抱く人もいます。そのうえで、多様で複雑な記憶や感情を「白か黒か」に単純化せず、複雑さをそのまま内部に抱え込んだ美しい作品をつくりました。
そのなかには、日本の植民地時代を「良い時代だった」と語る人もいれば、まったく異なる感情を抱く人もいます。さわは、そうした多様で複雑な記憶や感情を「白か黒か」に単純化せず、複雑さをそのまま作品の中に抱え込んだ美しい作品をつくりました。

──私にとって玉蘭荘は身近な場所でもあり、作品とのつながりすぐに見えませんでした。けれども、いまのお話を伺って「個人の記憶」を詩的に、象徴的に再構成したことを理解できました。
サム 高田冬彦の《The Princess and the Magic Birds》については、呉明益の小説との類似が偶然にも強く現れています。
小説『自転車泥棒』のなかでは老人と小鳥の関係が描かれ、耳元で鳴く小鳥の声が「記憶」として響きます。さらには老人と小鳥の関係性、ささやきのような声、空間全体に漂う緊張感など、「思慕」を欲望や成熟、身体感覚とも結びつけて提示しとてもユニークです。高田は露骨な描写を用いず、言葉と空気だけで観る者の中にイメージを喚起させる。それによってビエンナーレ全体に、もうひとつ異なる層を与えてくれました。

横溝静の《Recipients》に登場するのは、母親がベランダで丁寧に世話をする鉢植えや植物です。育ち、枯れ、再び芽吹く季節をめぐる循環を見つめつつ、母との関係や時間の流れを静かに捉えています。
長くイギリスで暮らしてきた横溝にとって、母親は距離のある存在でした。この作品は日本と台湾の歴史を直接扱っているわけではありませんが、失われた家族の絆を探す「思慕」の物語として、呉明益の『自転車泥棒』とどこか共鳴しています。

私たちは彼女の母親を個人的に知っているわけでなくとも、作品を通してその存在をはっきりと感じられます。所作の美しさ、静けさ、そして空間に漂う優雅さ──横溝の作品はきわめて繊細で、秩序と詩情に満ちています。これほどの詩的強度を家庭という私的な空間に宿すことができる点に、深く感銘を受けました。
母子という関係でいえば、チェン・ジン(陳進)の絵に子供が母親に摘んだ花を渡す場面があり、親から子へ、子から次の命へとつながっていく世代の循環についての感情が込められているように思います。ファトマ・アブドハディの作品にも母がレースで茶葉を包むシーンがあり、母親の記憶と深く関わっています。
──今回の展示では、台湾の「原住民族」(台湾における先住民の正式名称)アーティストが不在であることについて、何か理由があるのでしょうか。
サム/ティル 自分たちはこの土地の出身者ではないことを、私たちはつねに強く意識してきました。もし台湾や日本、あるいは先住民族について「こう解釈すべきだ」と語ってしまえば、それは別のかたちの文化的植民地主義になりかねません。私たちの役割は「政治的・民族的な要素」をすべて埋めることではなく、今回のテーマに沿って物語や感情の流れを丁寧に紡ぐことにあります。このビエンナーレのなかで、すべてのグループ、すべての国、すべての歴史的文脈を包括的に扱うことは現実的に不可能です。
したがって、「なぜ含めなかったか」を政治的な立場から説明するより、私たちが責任をもって向き合える範囲に焦点を絞ったというのが正直なところです。ただし、これは決して先住民族を軽視するものではなく、あくまで今回のビエンナーレという枠組みと限られたリソースの中での選択だったを強調したいと思います。
──最後に、日本からの来場者へのメッセージをお願いします。
サム 歴史のなかで、私たちはしばしば「加害者」「被害者」といった立場を与えられますが、一度その固定された役割を離れ、お互いの経験に耳を傾けることができれば、同じような痛みや思慕、そして願いを共有していることに気づけると思います。この展覧会がそうした共通する感情を見出し、ともに未来へ進むためのきっかけとなれば嬉しく思います。
ティル もうひとつ付け加えるなら、「まずはアートを楽しんでほしい」ということです。概念や政治的背景を深く考えることも大切ですが、それよりもまず作品と向き合い、心で何かを感じてほしい。美しいもの、不穏なもの、不思議なもの──そうした表現と出会い、自分のなかに物語やイメージが立ち上がる体験をしてほしいと思います。その過程で生まれる感情の旅こそが、この展覧会の大切な一部なのです。














