2025.4.14

YAUが掘り起こす街の創造力。「アートアーバニズム」の未来を見据えて

5000以上の企業と35万人の就業者が集う、日本を代表するビジネス街である大手町・丸の内、有楽町を組み合わせた「大丸有」エリア。「アートアーバニズム」をコンセプトに、アートが都市の暮らしに介入する「YAU(Yurakucho Art Urbanism)」の「YAU OPEN STUDIO ‘25」の展示を通して、そのプログラムの実態に迫る。

文=中島良平 All photo by GC magazine

photo by Natsuki Kuroda
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アートが暮らし手にもつくり手にも浸透する状況

 NPO法人大丸有エリアマネジメント協会、一般社団法人大手町・丸の内・有楽町地区まちづくり協議会、三菱地所株式会社により、2022年2月にスタートしたパイロットプログラム「有楽町アートアーバニズム(YAU)実行委員会」。当初の目的は、普段はあまり交わる機会のないビジネスパーソンとアーティストが街の中で同居する景色や仕組みをつくることだった。

 アートフェアや展覧会への参加を目的に来ることはあるかもしれないが、日常的にアーティストやアート関係者が集まるエリアだとは言い難い「大丸有(大手町・丸の内・有楽町)」エリア。そこにアーティストの居場所ができれば、エリア内の会社に勤める多くのオフィスワーカーとアートの接点が増えるのではないか。都市生活の中に創造的で感性に響くアートの領域を融合させ、パブリックアートやアートイベントといった意味ではなく、行為や思考としてのアートそのものが街づくりと結びつくのではないか。そのような思考を表現した造語が「アートアーバニズム」だ。

URBANIST CAMP TOKYO「ととのいツアー」
感受性の学校
感受性の学校

 YAUの立ち上げに際し、YAUオフィシャルのnoteアカウントに東京大学大学院工学系研究科教授の中島直人は「アートアーバニズムの始まりに寄せて」と題するテキストを寄稿した。『アーバニスト 魅力ある都市の創生者たち』(ちくま新書)の著者である中島は、「端的に言えば」と前提して、次のように説明する。

アーバニズムは、20世紀初頭のシカゴ派都市社会学に端を発する都市での生活様式という事実概念としての側面と、19世紀末から20世紀初頭にかけての欧州でのユルバニスムに端を発する望ましい都市居住を実現するための技術・思考の体系(その一つが都市計画である)という規範概念としての側面を併せ持ち、その二つの側面の間を自由に移ろっている。
つまり、暮らし手とつくり手の双方から都市を語れるのがアーバニズムである。アーバニズムとは、計画と生活を自由に移ろいながら両者を包含する、都市生活そのものと都市づくりの方法の実践的探求である。

従って、アートアーバニズムとは、アートがその暮らし手にもつくり手にも浸透する状況のことである。「アートのあるまちづくり」や「アートによるまちの活性化」とやや位相を異にするのは、アートは都市の置かれる作品(オブジェクト)やコンテンツというだけでなく、アーバニズムそのものに立ち入り、組み合い、抱き合うということであろう。

  アートアーバニズムの実践とは具体的に、「人々の生活様式の中に創造的で共感をベースにした営みが確かに見出されること」であり、「都市づくりの方法において、従来からの客観的、科学的、工学的な課題解決アプローチに加えて、より共感的、感性的、工作的な価値創造アプローチが並走すること」だと述べている。その実践の場がYAU STUDIOであり、「ビジネス街にアーティストの居場所をつくる」ことを目指したYAU1期(2022年2〜5月)は、1966年に竣工し、2023年に閉館した有楽町ビルでスタートした。

 YAUの立ち上げ当初から企画と運営に携わるTOKYO PHOTOGRAPHIC RESEARCHディレクターで、フォトグラファーの小山泰介は、「YAUを立ち上げる前にアーティスト目線でこの街がどう見えるのかをリサーチしたところ、アートとは無縁で、アートに対してドアが閉ざされた街」だと感じたという。

「有楽町ビルにYAU STUDIOを設置する際には、『どんな人でもとりあえず居ていいスペース』を目指しました。何かをつくらなければいけないという以前に、アーティストやアートマネージャーたちがとりあえず居ることができて、空間をシェアできる場所をつくろうとしました。そこを拠点に地域の企業との接点を求めていくと、じつはドアは閉ざされていなくて、普段アーティストと話す機会がないオフィスの人たちも話したいことがいろいろあり、アートに対して興味をもっていることが感じられました。うまくアプローチすれば、オフィスワーカーとショッピングの街にもアートを介入させていくことができるのだと、YAUの活動を通して感じました」。

YAU OPEN STUDIO '25より、TOKYO PHOTOGRAPHIC RESEARCHの展示
YAU OPEN STUDIO’25より、YAU ⇔ サッポロ・パラレル・ミュージアム 坂本敦の展示

  アトリエやリハーサルスタジオがあれば、アーティストや演出家、役者などが集まるはずだ。そう考えて設置したYAU STUDIOでは、アーティストたちに都心のオフィスビルで制作をする場を提供し、そこから街との化学反応によるイノベーションの創出を目指すべく、ジャンルも手法も様々な表現者たちを公募した。

無意識を掘り下げて自分の欲望と出会う

 演劇ユニット「サンプル」を主宰する劇作家・演出家・俳優で、2011年に『自慢の息子』で第55回岸田國士戯曲賞を受賞した松井周は、「大丸有標本室」と題するプロジェクトを2024年5月に立ち上げた。2019年に立ち上げたコミュニティ「松井周の標本室」の発展版で、今回の参加者は大手町・丸の内・有楽町で働く人たちに限定して公募。知的好奇心を媒介に参加者が集い、YAU STUDIOが入居する国際ビルが閉館を予定する25年3月に、成果展の開催を目指す新たなコミュニティとして始動した。「パフォーマンスでも小説でも絵でも、表現だったらなんでもありの公募なので、YAUも自由に使える場として活用させていただきました」と松井は話す。

 「『標本』という言葉はずっと前から使っているのですが、人間は社会的に分類される生き物であり、進んで分類されたい欲望(=あるカテゴリーに所属したい願望)があると同時に、分類されることへの反発ももっています。そこで標本という言葉が自虐的な意味も込めて出てきたのですが、自分を世の中にいるある種族の標本(サンプル)として見たとき、改めて自分は一体何者なのかを問うと、自分の社会的に分類されない特殊な部分もあることにも気づくはずです。『大丸有標本室』の活動を通して、参加者の皆さんに自分の無意識の部分を掘り下げていただき、そこで見つけた自分の欲望と結びついた作品を制作してもらおうと考えました」。

 参加者は金融関係者や企業秘書、投資家、公務員など様々だ。秘書として働く参加者のひとりである津保綾乃は、「言葉のための祭儀」と称するインスタレーションとパフォーマンスを完成させた。その発端となったのは、言葉の正しさ(文法、表記、リズム…)への偏執狂的な執着だ。

YAU OPEN STUDIO’25より、「大丸有標本室」の「言葉のための祭儀」
YAU OPEN STUDIO’25より、「大丸有標本室」の「言葉のための祭儀」

 「サバイバル退勤」という体験型の展示にしたのは、機関投資家のサム。外出中は「いま地震が起きたらどこに逃げ込むか」を考えがちだというサムは、「大丸有エリアのオフィス」「午後4時」「富士山が噴火」「お家に帰ろう」「あたなは何を持ち出しますか」という強迫観念のような不安のようなものを作品化した。

YAU OPEN STUDIO’25より、「大丸有標本室」の「サバイバル退勤」

 普段は銀行に勤務する山本祐輔は、三越百貨店のライオン像や秋葉原・万世橋のかつて彫像が立っていた場所にそびえる11メートルの鉄柱など、公共空間で目にする「銅像」の誕生経緯などをリサーチ。動画とレクチャーで成果発表を行うパフォーマンスとしてかたちにした。作品を制作して発表するという、普段の会社員生活と離れた非日常体験についてこう語る。

「銅像への興味を自分の中で掘り起こし、調べてことをかたちにする楽しみをここで味わいました。それを展示する機会を与えていただけたこともとても貴重でした。毎日のルーティンに変化が加わり、自分はこういうリサーチをして作品を制作するのが好きなんだと発見できたことは大きかったです。月に1度はほかの参加者と意見交換をする機会もあったので、それも大きな刺激になりました」。

YAU OPEN STUDIO’25より、「大丸有標本室」の「世にも奇妙なモニュメント」

 定期的な意見交換の場に加え、一度は合宿も行われた。YAU STUDIOに生まれるコミュニティとの共通点や、そもそも「表現する」とはどういうことなのかというリサーチをするために、滋賀県に向かい、アートセンター&福祉施設「やまなみ工房」と、京都府との境に位置するシェアスタジオ「山中Suplex」を訪れた。松井は次のように話す。

 「滋賀県の両施設もYAUも、誰もがこだわって何かをつくっているという意味では、その感覚はほとんど変わらないものではないかと感じました。プロのアーティストかどうかというのは関係ないですし、つくることで何かを見つけ、それがまた次の創作のモチベーションになっていくような感覚といいますか。今回の成果展『標本物語』も、すごく変な展示空間になったと思うんですが、それが一番嬉しいです。全然統一感がなく、それぞれの欲望が滲み出た展示になっている。固定観念や規定の価値基準で測るのではなく、その人の欲望とたしかに結びついた表現になっているかどうかで判断できるアートというのは、そこから双方向性や対話も生まれると思うので、非常に力があると感じています」。

 松井自身もまた、このプロジェクトから誘発され、『標本物語』と題する小編を創作した。

 「参加者の皆さんがというか、都市に暮らしているとどうしてもストレスが溜まりますよね。仕事などの日常で感じたストレスを、こうしたアート活動を通して逃がしているのではないかと感じました。電気を逃がすためのアースじゃないですけど、自分にかかった圧を、創作を通して抜いているような。それが発端となって、作品づくりにハマりだすというのはすごく健全な行為だと言えるのではないでしょうか」。

YAU OPEN STUDIO’25より、「大丸有標本室」のエントランス風景
YAU OPEN STUDIO’25より、「大丸有標本室」の「脳灯 Noh-Toh」

ユース世代が大人の心のリセットに協力

 「ゆ〜す相談室」と題するプロジェクトも、アーティストの菊池宏子がサポートしながら10代を中心にした若者たちによってその活動を続けている。コンセプトは、「誰かに話したいことありませんか? ゆ〜すが皆さんのお話聴きます!」。メンバーのひとりはこう話す。

 「普段、学生やユースと呼ばれる若い世代と関わることがない大人の方々も、私たちユースに何かを話すことで自分の過去を振り返り、童心に帰れると考えて始まったプロジェクトです。忙しなく仕事のことを考えたり、ひとつのことに集中したりしていると、どうしても疲れてしまうと思います。そんなときに私たちに話していただいたり、アートに触れていただいたりすると、心のリセットになるのではないかと思っています」。

ゆ〜す相談室

 YAU STUDIOで「ゆ〜す相談室」を実施することもあれば、不定期に近隣のオープンスペースに出張することもある。予約をしてマインドセットをつくって相談室を訪れるのとは異なり、例えばランチの合間に少し立ち寄り、今の些細な悩みをユースに話すことでリフレッシュが行われることになるのは、大丸有エリアにおいても確実に機能しているはずだ。

 「『ゆ〜す相談室』は大人の方に向けてのプロジェクトですが、ユースからユースに向けての音声メディアも最近立ち上げました。夜に考えごとをして眠れなくなったり、ひとりで不安を感じたりすることって誰でもあると思うんですが、そういうときに無音の部屋で過ごしていると、より深く考えてしまうことにつながってしまいますよね。音楽を聴いたりYouTubeを流したりして安心して眠れることがあると思うのですが、そういう一助になればいいと思い、私たちがあるテーマを考え、雑談のようなかたちで聞いていただける音声メディアの番組を立ち上げました。おだやかに聞いていただける、眠気を誘うようなトークテーマを考えていきたいです」。

エリアのリサーチをかたちにした田中功起と小林エリカ

 オープンスタジオに参加したアーティストの田中功起は、「誰かの経験を共有することはできるのだろうか」というステイトメントから「経験の共有」プロジェクトをスタート。2023年10月から2024年2月にかけ、大丸有エリアのワーカーにインタビューを行い、プロジェクトを映像作品に帰着させることを目指した。インタビューをもとに田中は初めてシナリオを書き、『大丸有標本室』の監修でもある俳優の松井周と鄭亜美を迎え、国際ビルで撮影した映像作品『演じることは個人的なことをシェアすること』を発表した。

田中功起の展示風景

 いっぽうの小説家でアーティストの小林エリカは、目に見えないものや記憶、史実に基づくリサーチを重ねて制作を行ってきた表現者だ。近年は、大丸有周辺エリアにおける太平洋戦争時の「風船爆弾」にまつわる出来事や人をリサーチし、『女の子たち風船爆弾をつくる』(文藝春秋)と題する小説を書き上げた。その小説内容と連動するかのように、三菱地所が保管していた旧八重洲ビルヂングのレリーフやモザイクガラス等を、自身のヴィジュアル作品と組み合わせて展示することで、失われかけた記憶と史実をかたちにして伝えた。

小林エリカの展示風景
小林エリカの展示風景

アートアーバニズムの未来を見据えて

 最初にYAU STUDIOが設置された有楽町ビルが閉館し、移転した国際ビルもこの3月に閉館し、やがて取り壊されて再開発が行われる。YAUは2022年から3年間を通じて、街とそこに働くビジネスパーソンたちと関係を築いてきた。国際ビルのスタジオを閉じた後も、JR有楽町駅前にスペースを移転し、変わらず大丸有エリアとアートを通じた関係をさらに深めていく。コーディネーターで制作に携わる山本さくらは最後にこう話す。

 「YAUはひとりのディレクターが全体をまとめあげるというより、コーディネーターやアーティストが集まり、話し合いながらプロジェクトを進めています。今後も話し合う姿勢は変わらないと思うのですが、移転先が現在のスタジオの3分の1ほどの面積になってしまうので、これまでのように誰もが気軽に集まれて、自由にスタジオ内に居場所をつくれる余裕はなくなってしまうかもしれません。しかし、地域の企業の方やワーカーの方々とのコミュニケーションを継続しながら、今度は拠点を持ちつつ、さらに外に出て行ってYAUの活動を広げるフェーズに入っていくと思います」。

 これまでは大丸有エリアのワーカーたちがYAU STUDIOに集まり、それぞれにクリエイションを行うケースが多かったが、コンサルティング会社のPwC Japanグループと連携しながら、地域の企業にアウトリーチしてワークショップを行うプランなども進められているという。有楽町ビル、国際ビルというふたつのビルを拠点にYAUの活動の礎を築き、今度はその固めた足場から外に出て行きネットワークを広げることが可能となる。コアをもちながら大丸有エリアにウェブを張り巡らせていくようなアートアーバニズムの展開をこれからも追いかけていきたい。