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2025.6.22

「断絶」から「連続」を語るために。「忘れられない名前」展から見る「脱北者」アーティストたちの現在地

朝鮮戦争から75年、南北の分断は依然として現在進行形だ。だが、その断絶のあいだから新たな芸術的実践が生まれつつある。韓国・烏頭山統一展望台で開催中の「忘れられない名前」展は、脱北者を含む6人の作家による作品を通して、分断の傷を超え、記憶と想像力によって“連続”を語ろうとする試みである。

文=古川美佳(朝鮮美術文化研究)

「忘れられない名前」展の展示風景 写真提供=ギャラリー・パクヨン
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 今年6月は、朝鮮戦争勃発(1950年6月25日〜1953年7月27日休戦協定)から75年、また日韓国交正常化(1965年6月22日に署名)から60年となる。朝鮮戦争は南北分断を固定化させ、「休戦」状態は継続中だ。いっぽう、日本政府はもっぱら分断された南側・韓国とは友好関係の構築に努めてきたが、北側・朝鮮民主主義人民共和国(以下、朝鮮/北)との国交正常化交渉は中断されたままだ。戦後80年となる現在、南北をめぐるそうした「非正常的」な関係や「不均衡」を想起する態度すら失われつつある。

 しかし、現実ははるかに先を行く──韓国の現代美術は、もはや「韓国人」による表現を追うだけでは語りえず、人的移動が南と北を交差させている。東アジアの「冷戦構造」を引きずり、地政学的影響を受ける朝鮮半島の美術の様相を、この6月に改めて確認してみたい。 

統一展望台の中で出会う

臨津江(イムジンガン)の流れに沿って張られた韓国側の有刺鉄線の向こうには朝鮮が見える 撮影=筆者

 鉄条網を隔てた向こうにうっすらと見えるのは、韓国にとって「同じ民族であり、もうひとつの国」である北側・朝鮮だ。臨津江(イムジンガン)の流れに沿って張り巡らされた南側の有刺鉄線を横目に車を走らせ上っていくと烏頭山(オドゥサン)統一展望台がある(*1)。離散家族の望郷の念を癒やす統一安保教育の場として1992年に京畿道坡州(パジュ)市に建設されたこの展望台からは、朝鮮の黄海北道開豊郡官山半島地域の住宅などが一望できる。まさに「北はすぐそこにある」のだが、「行くことはできない」。

烏頭山(オドゥサン)統一展望台。この1階企画展示室で「忘れられない名前」展が7月6日まで開催中

 そんな統一展望台1階企画展示室で、「忘れられない名前」展が開催中だ(2024年10月22日〜2025年7月6日)。この展覧会は、韓国政府統一部国立統一教育院(部は日本の省にあたる)の主催・主管のもと、ギャラリー・パクヨンが企画したものだ。参加作家6名のうち2名は北から南に来た「北韓離脱住民」、すなわち「脱北者」アーティストだ。そのうちのひとり、シム・スジンが展覧会場入り口で笑みを浮かべ立っていた。

「忘れられない名前」展 入り口の様子

 シム・スジンは、鉄条網から放たれた南の展覧会場で自らの表現を開陳する。しかし、作品の一部からは彼女の過酷で稀有な足跡が垣間見え、思わず息をのむ。政治的現実が露呈する瞬間だ。その痕跡は「痛み」や「うずき」を伴い、ほかの作家たちの作品とも響き合う。

 北から中国に渡ったが、中国公安に捕まり、北へと「“北送”(送り返)されようとした列車から飛び降りて」満身創痍で再び中国にとどまり、やがて韓国にたどり着いた彼女は、美術によって「生きながらえることができた」という。

自作の前に立つシム・スジン 写真提供=ギャラリー・パクヨン